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【連載小説】この子が、いたからじゃ、ないので 4話


 未だざわめきがさめやらぬ室内で、彩矢はぼうっと座りながら膝の上にひろげた両掌に座るトイと呼ばれた小さな生き物を見ていた。

 髪を弄ったり、手を叩いたり、スカートの裾をつまんだり。やっていることは幼子のそれと大差ない。

 隣に座っていた男の子は頭の上に乗られてしまったらしく、落ち着かない様子で上をみたり手を伸ばして触ろうとしたりしている。トイはそんな主人(?)をきゃらきゃらと楽し気に眺めているようだ。

 パンパン!と拍子が打たれて、まだ立っている人、喋っている人、ふらふらと飛んで行ってしまうトイを追いかける人などがいる室内に、一瞬の静寂が戻る。

 そして全員が注目した事を受けて、会議室前方で事の次第を見守っていたらしい小林さんが再び口を開いた。


「それではこれより、成人の儀によって我々の前に姿を見せてくれましたこの『トイ』について、説明させていただきます。どうか落ち着いてお座りになってください。」


 彼はこう言いながら、彼にそっくりな子を手のひらに乗せて全員に示して見せた。

 うん、ほんとに、コレ、なんなの?


「あのっ、すぐにどっかいっちゃうんですけど、どうしたらっ?!」


 どうしても落ち着いてくれないのか、自席に座れず半ば泣きそうになっている子が対処を求めて声をあげる。あー、ほんとだひらひらとちょうちょの様にあちらへこちらへと飛び回るその子のトイは、全く主人を振り返ることをしていない。ああ、泣きそうじゃなくて泣き始めちゃった……大丈夫かな。


「ああ、はい、大丈夫ですよ、トイは主人から一定距離離れると主人の元に戻される仕様ですから。例外はありますが、基本的にご本人とトイは離れられないようになっているので、ひとまずはお座りになってみてください。そうですね、離れられる距離としては、大体この会議室の前後位と考えていただいていいでしょう。」


 その言葉を受けてついと皆の視線が室内の前後を行ったり来たりする。うーん、おおよそ15メートル位はあるかな。結構行けるんだなぁ、と彩矢はなんとなしに考える。


「……ぅ、わ、かりました……」


 納得したのか、涙目の彼女はふらふらと飛び回る自分のトイを目で追いかけつつも、自分の席へと戻っていく。そうしてやっと、室内が元の静けさとまではいかないものの、落ち着きを取り戻してきた。

 そのタイミングに合わせて、控えていた職員から冊子が配られ始めた。横へ手渡す様にして一部ずつ手にしたその冊子には「トイの特徴と、付き合い方・及び注意点」とある。


「えー、皆様のお手元にこちらの冊子が行き渡りましたでしょうか?それではこちらにそって説明をさせていただきます。全て読み終えてから質疑応答の時間を設けますので、何か気になる点がおありの方はそちらでお願いします。」



 その後、小林さんがページを進めながら説明してくれた内容によると、トイというのはやはりかなり不思議な生き物らしいという事だけよくわかった。

 曰く、必ず主人そっくりなこと。これは見た目だけでなく、性格もほぼ同じらしい。基本的にはふわふわ浮いているけれど、肩や頭の上に乗るのが好きらしい。また個体差はあるので、背中にしがみついたり、胸ポケットで寝るのが好きなど好みの居場所は様々だそうだ。なんだかペットみたい。

 そしてトイ達は羽根があるわけでもなく、空中にふよふよと浮いていられる。これはもうそういうものらしい。どういう仕組みかわからないけれど、害する事はできないらしい。けれど、触れる事はできる。ただ、触れ合う事はできてもそれだけらしい。よって、彼らの着ている服を着せ替える事もできないとのこと。ちぇ、可愛くしてあげようかと思ったけど、ダメかぁ、と彩矢はちょっとだけ残念に思った。

 他にも、主人と触れ合うのが何よりも好きだから、いつでも傍にいたいしじゃれついてくるとか、でもそこも個体差はあるので、ずっと鞄の中で眠るのが好きな子もたまに居ますとか。色々な説明があった。


 その中で、一番重要だと言われたのが、本人の性格や好みが反映されている、という部分だった。

 トイは本人の写しの様にそっくりな性格で、しかし行動は幼子のそれとなる。つまり、好みのもの好きな事、楽しそうなものには嬉しそうな顔で近寄ったりふらふらとついていってしまう。そして好きでないものにはそのような態度をとるという。

 それは人間関係にも現れていて、トイ同士が仲良く出来るなら、本人同士も気が合うし、トイ同士が反発し合えば、その相手とは気が合わないらしい。


「この辺りは、実際に見ていただく方がわかりやすいかと思いますので……、これから私がこの会議室内を少し歩いて回りたいと思います。ちなみに、私は窓の外を見るのが好きなのと、こちらに一緒に来ている職員の中に恋人がいますので、そのあたり見てもらったらすぐに分かるかと思います。」

 小林さんは何気なく爆弾発言を投下しつつ、にっこりと笑ってから、壁に沿うようにして窓際から部屋の後方へ向かって歩き出した。

 彼が歩き出すと、小林さんのトイはふよふよとその後ろをついていく。ただついていくだけかと思ったら、どうやら窓の外を見ながらで、小林さんが急に脚を止めると、彼の背中にぽふんとぶつかっていた。なるほど、窓の外を見るのがお好きな小林さんにそっくりで、ついつい見てしまってご主人が止まったのにも気づかないくらい集中しちゃうあたりがちっちゃい子のそれなのねとよーく理解できた。

 さらに彼は歩き出す。そのうちに、たまに彩矢たち新成人の座る列の間を通ったりしてみせた。その間、トイは、とある子のトイとニコニコと笑ってハイタッチしたり、何にも反応しない相手がいたりと様々な反応を見せてくれた。

 そして、会議室の最後方に行き付き、何人かの職員がならんでいる前までくると、小林さんのトイが急に飛び出して行ってしまった。それまではご主人の後ろを付いて行っていたのに、何かを見つけた瞬間ひゅんっと飛んで行ってしまったのだ。

 そんな小林さんのトイの飛んで行った先には、一人の女性職員と、彼女のトイが居て……

うん、なんていうかもう、イチャイチャしてる。それはもう嬉しそうに楽しそうに、彼女のトイに絡んだりつついたりしてる。

 なるほど、その人が小林さんの彼女さんなんだな、とまぁ、うん、すぐに会議室にいる全員が理解した瞬間だった。

 彼女さんは顔は真面目そうな雰囲気を保ってるけど、トイが少し、なんていうか恥ずかしそうにしつつも小林さんのトイに嬉しそうに絡んでいるから、ああ好き合ってるんだなぁって羨ましくなってしまう。


 そんな微笑ましい一幕を交えつつ、会議室内をざっくりと歩いて回った小林さんは、再び前方の机の前に立ち、笑顔で話し始めた。

「大体お判りいただけましたでしょうか?トイはこちらの感情や状況を考えずに、好きなように行動し、好きなものへ飛びついていきます。またその逆もしかり、です。ということで、ここからは、トイに関する我々主人が気をつけねばならないことをお話させてください。またそれに合わせて必要な物等を配ります。」


 まだあるのか、と少しげんなりしつつも、それでもまだまだよくわからないトイについて理解を深めるためには大事らしいし、と彩矢は軽く息をついてから気持ちを切り替えた。



「まず、今日この成人の儀でトイを見るまでは、皆さんは一切彼らについて知りえなかった。それは間違いありませんね?」


 そう、それは間違いなかった。

 彩矢はこんな不思議な生き物(と言っていいのだろうか)がいるなんて知らなかったし、教えられた事も、示唆されたことも無かった。亡き父親も、健在な母や祖父母も、二つ上の兄だって、成人式を過ぎてからこっち、トイに関しそうな事は一言も……いや、何度か口ごもっていたかもしれないからそれだったかもしれないけれど、教えられた事は無かった。


「皆さんのご家族がきちんと成人の儀における誓約をお守りいただいていて嬉しいです。皆さんにもこの後お願いする予定ですが、未成人の方にトイに関して一言も漏らさないという誓約書にサインして頂きます。術師が作成している書類ですので、効果のほどはお判りいただけるかと思います。もちろん、トイがいるという事を口に出さなくとも、示唆する行為もいけません。」


 それは、なかなかに重たい書類だ。と彩矢は溜息をつく。術師が作る書類というのは、その紙自体に術が施されていて、主に契約関係に使われる。破ろうものなら声が出せなくなったり、体の一部が動かなくなったり等色々あるらしい。彩矢の身近に破った人なんていないから、大変そうだと想像するしかできないけれど。


「理由はいくつかございますが、第一に、トイの性質、つまり好きな相手には寄っていき、嫌いなあるいは好かない相手は避けまくる、というのがあります。」


 小林さんの話はつまり、コミュニケーション能力をきちんと学ぶため、ということらしかった。未成年のうちは、トイが見えないしそもそも居る事をしらないので、成長するにつれトイに囚われずに人間関係を築きコミュニケーションや距離感を学んでゆく。そして成人後は、トイを見れば相手がどんな風に自分に感じているかがわかるけれども、もしも気が合わないとしても、上手く交流できるようにするすべを学んでほしい、という事だった。


「事実、先ほど、私がこの部屋の中を歩きました時も、私のトイが寄って行かなかった方が何名かいらっしゃったかと思います。もちろん、私の同僚の中にもいます。けれど、だからといって、避けてしまうのではなく、苦手な相手でもこれまでの経験を活かして分かり合えるように努力してほしいのです。皆さんこれまで生きてきた二十年間において、ある程度コミュニケーション能力が培われてきたと思います。この先の人生においては、対峙した方と、その方のトイとも付き合いつつ、もう一歩踏み込んだ人間関係を築いていってほしいのです。」


 ふぅん、とわかったようなわからないような返事を軽くしつつ、彩矢はトイをつつく。あなたそこそこ厄介なのね。口を尖らせながらつつくも、トイには伝わってないのか、きゃらきゃらと擽ったそうに笑うばかり。可愛いけど。


 そうこうしているうちに、彩矢たちに追加で何やら配布されてきた。それは小さな小箱と、一回限りのピアッサーのような医療器具。

 小箱は一人一つあって、なんというか、宝石箱とか少し大きなジュエリーケースといった様な雰囲気の箱だった。素材は素朴な木製、けれど、少し……なんというか、特殊な雰囲気を、彩矢はこの小さな箱から感じ取った。

 造りとしてはとても単純で、かちんと掛け金を外せば蓋を開けられる仕組みで、開けたからとて何が入っている訳ではなかった。しかし、内部になにやら術印らしきものが印刷されている。

 と、その箱を見て、トイが随分嬉しそうに喜んだかと思ったら、箱の中へ飛び込んでしまった。しかも、やはりきゃらきゃら笑いながら箱の中に座り、おすましして、こちらを見上げている。

 この場面で配られたわけだし、トイ達に関係するんだろうけど、この使い方でいいのかな……。

 彩矢が少し不安に思いつつ、トイの好きに遊ばせていると、すぐに小林さんから声がかかった。


「今皆さんにお配りしました簡素な箱ですが、トイ達を収納するための箱になります。ああ、もう入っている子もいるようですね。」


 周囲を見ると、彩矢のトイと同じように箱に入って遊ぶ子や、じっと見つめる子、箱の中でうとうとと眠り始めている子もいた。トイって本当に自由なんだなぁ……。


「何度も申し上げておりますが、トイ達は主人の性格そのままに幼子になったような子達です。また、トイ同士は意思疎通ができるのか、何事か言い合ったりする様子も見られます。そして常にあなた方のそばにいて、いつ何時も離れることはありません。そんな彼らの特性から、考えてみてください。もし、大事な商談の場で、トイ同士が言い争いを始めてしまったら?商談の内容をトイ達がみて、他所へ漏らしてしまうような事があったら?他にも、トイ達が常にそばにいるとなると、不都合な事がなにかと皆さんおありかと。」


 あー、なんて思いながら頷けば、目に見える範囲の人々もうんうんと神妙な顔つきで頷いている。まぁそうだよねぇ、こんないきなりいつも一緒に居る子ができちゃいました、なんて。始終監視の目がついてる、とも捉える事ができるし、そんなずっと他人の目に晒されてたら、休まる時間も休めやしない。


「と、いうことで、この箱、トックスという名前ですが、の出番となります。大事なシーンや、一人になりたい時等、トイに邪魔されたくない時間、ですね、そんな時には、この箱(トックス)にトイ達をいれてあげてください。この箱(トックス)もやはり術師による術が施されていて、トイ達にとってはとても心安らげる空間になっているようです。ですので、どんなトイでも箱(トックス)に入るのを嫌がる事はありません。まぁ、主人と少し離れる事になるので、そこを寂しがる子は少なからずいるようですが。ですので、あまり入れっぱなしにしてしまうと後々拗ねたりして大変なので、時間には気を付けてあげてください。……そうですね、一度に二日くらいまで、なら大概大人しくしてくれていると思います。それ以上はご機嫌を損ねたりとなにかと大変ですので、トイ達に無理をさせないようにお願いします。」


 拗ねる、とか、ご機嫌を損ねる、とか。まさに子供みたい。えー、あなたたちそんな面倒なの?まぁでも、ご飯が必要な訳じゃないし、自分と仲良くなれそうな人が分かるって事は、いい事、かなぁ。合わない人がわかるのも、今後の人生においてわずらわしさは減るのかもしれない。

 ふぅん、なんて、やっぱりわかったようなわからないような返事を溢して、彩矢は箱(トックス)で遊ぶトイを見る。


「ああ、そうでした。皆さん、箱(トックス)に持ち主登録をするために、一緒に配布しました小さな針で指先から血液を一滴採取していただいて、箱(トックス)の表面にある紋の中心に染み込ませてください。それで、ご自身のトイにとって、何よりも最高の寝床となりますので。」


 彩矢は、ざわめきの収まらない室内に、それなりに時間のかかっている成人の儀がまだ続きそうな気配を感じ、しょうがないなぁ、と溜息をこぼす。けれど、やらねば終わるまい、と言われるがままに、持っていた針にチクリと親指の先を刺して、箱の紋へ真っ赤な血を垂らした。すると、彩矢のトイは、分かりやすく瞳を輝かせ、よりトックスと呼ばれた箱に擦り寄っている。そんなにいいんだなぁ、なんて思いつつ、一人になれる時間をちゃんと確保出来る事に、少なからず安堵している自分が居た。

 まぁ、そうだよね、一人になりたい時ってのもあるもの。……考え事したいとき、とか、さ。考え事、と思ったタイミングで彩矢の頭に過ぎったのは、今朝の、彼の事だった。ほんと、なんで、いきなりよそよそしくされちゃったんだろう……。

 そこまで考えて、はっ、と彩矢は今自分が居る場所を思い出した。

 だから、今はそんな事考えてる場合じゃなくて!彩矢がぶんぶんと頭を振っている間に、小林さんによる補足説明がまだあったらしく、彼の声が聞こえてきた。


「こちらの箱(トックス)ですが、本当に重要な場面以外は、使用されない事をお勧めします。トイは、我々の分身と言っても過言ではありません。つまり、それだけ大事な存在を相手にも見せている、常に一緒に居る事を許しているという事となり、やましい事はありませんという真心の証と判断されます。また、箱(トックス)についても、もちろん相手は身長に見極めなければなりませんが、相手に預けるという事は、自分の分身たるトイを預けるに足るという事から、全てを預けられますという絶対の信頼の証となります。くれぐれも、皆さん自己判断の元、慎重に行動なさっていただいて、ご自身の重要な局面で効果的にご使用になりますよう、お願い致します。」


 一通りの説明がやっと終わったのか、小林さんは壇上で書類をトントンと纏め、言葉を区切る。それを見て周囲のざわめきがまたさざ波の様に増し、各々自分のトイとどう付き合うべきか思案している様だった。


「では、私からは以上となりますが、何か質問等ありますでしょうか?といっても、今は何も分からない事だらけでしょうから、後日何か疑問点や聞きたい事など出てきましたら、市役所・術師相談課へお越し頂くかお電話いただければ、些細な物でもお答えします。是非、分からない点をそのままにせず、なんでも聞いてきてください。では、皆さん本日は大変お疲れ様でした!」


 歯切れのよい挨拶と、慣れた文面を読み上げる口調に、毎月の仕事としてルーティン化しているのが窺えた。そりゃそうだ。成人の儀は毎月あって、しかも全員必ず出席しなくちゃいけない。こんな人数と回数こなしてたら、反応にも、質問事項にも慣れるよねぇ。彩矢はどこか達観しつつ、手に持った小箱にちょっかいをかけているトイを見て一つ息をついてから、帰り支度を始めたのだった。



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ぺん
小説を書く力になります、ありがとうございます!トイ達を気に入ってくださると嬉しいです✨