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ばかがうつるかられんたろうくんとはもうあそべない/山科連太郎

井上から始まってリンノスケと続いてきたこのろんどんのーと為るコラム的なもの。続いては山科連太郎です。
彼ら2人は日頃から無口で考えを内に秘めていますので、文章に知性を感じます。僕は逆。おしゃべりです。が、言いたいことを好き勝手に言えるわけではありません。

道で相手にぶつかってこられた場合ですら「すみません」と謝ってしまうのが、私達の大半だろう。
家に帰ってから、あの時ああやって言ってやれば良かった。と何度思ったことか。
ぶん殴ってやる想像を何度してきたか。

しても、良いことはありません。想像でとどめておくに越したことはないのです。
言い負かしたり、殴ったりは正義にはなりません。

僕は今ドラッグストアでアルバイトをしているが、当店ではレジ袋が有料になった。お会計の際は、レジ袋はご利用ですか?有料ですが、よろしいですか?と聞かなければならない。せっかちそうな老人男性が「いちいち聞くな、勝手にしろ」と言ってきたので、1番高い10円の袋にしてやりました。これが僕のできる精一杯。

過去に、居酒屋のバイトを辞める当日、ちょうど本部から指導課の山田が来ていた。
山田はたまにマニュアルを指導しに来る人間なので他のことはしない。お客様から呼び止められても「何番様お呼びだよ」と誰かを行かせるだけ。なぜならマニュアルを指導することしかできない人間だから仕方がないのだ。店が混んでいたって構わない。

現場は山田が嫌いだった。

その日は、バイトを辞める当日だというのに山田のせいでイライラしていた。山田はそんなことは知らず、僕にもいつものように指図してきたので、「自分でやれやハゲ」と大きな声で口応えした。
厨房、ホールスタッフが湧き上がっていたが、その夜店長が厳重注意&始末書の罰を受け、翌日から山田は2週間指導として店にいたらしい。

立つ鳥跡を汚しすぎ。
慣れないことはしないに限ります。

更にさかのぼり、小学校1年生の時、僕は藤川君(仮名)と仲が良く、週に2、3度は藤川君の家で遊んでいた。藤川君は色白小太りでサラサラヘアで、ピアノ教室に通い、僕は持っていないニンテンドー64を持っていて、老いたコーギーを飼っていた。藤川君の母親は、僕らの母世代にたまにいる浜崎あゆみに憧れていた女だった。

ある日、学校に行くと、藤川君が僕のところにやってきて、おはようも言わず「あのね、お母さんがね、馬鹿が伝染るかられんたろう君とはもう遊んだらダメって言うからね、もう遊べない。」青天の霹靂である。

こどもは残酷。伝え方を知らない。
少年山科は傷つき、何も言い返せず、64を取り上げられ、浜崎あゆみに少しのノスタルジーを植えつけられた。

と書くと可哀相ですが、悪いのは僕でした。
僕は藤川君というより64と遊んでいたのです。藤川少年をでぶ扱いし、ピアノ教室の日も押しかけ、年老いてごはんやおやつの時間と量が決まっていたコーギーにこっそりとおやつをあげていたのが、僕。

どちらかの立場しか見ないとどちらが被害者かもわからなくなります。

SNSを使うようになった昨今、ネットは言いたいことを言うはけ口になっているのかと思いますが、その人がどんな事情で発言したのか。その発言を見たらどう思うか。言葉の先にいるのは人間です。一時の感情で悪意に負けないでください。

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