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頑張ることには結果以上の価値がある、自分の物語を生きるためには

令和の時代には”努力”や“根性”といった言葉が避けられているように感じますが、上手くいっている人はそうするのが当たり前というように、身に付けているのでそう表現しないのだと思います。

根性とは?

  • その人が本来持っている性質(やじ馬根性など)

  • 物事をやり通す、たくましい精神

2つ目が大事そうですね、ではどうやって身に付ければ良いのでしょう?

テレビにもよく出ている、林修先生のお話で「確かになぁ」と思ったものがありました。

受験まで1ヶ月になった時、その後1ヶ月間

  1. 頑張れた

  2. 頑張らなかった

1・2からそれぞれに合格・不合格が出るけれど、1の人は結果がどうあれ「頑張れる人」となり、その後一年、一生、頑張れる。

これが受験の大きな収穫なのですね、他人から与えられない“自信”を自らの行動によって獲得する。

では、2の人はどうなるか?私の考えでは、頑張らなくても受かった人は他人の努力をバカにするようになるかもしれないし、頑張らなくて落ちた人は、「どうせ自分なんて・・、あの人は才能があるからだ」と卑屈になるかもしれない、他人を引き下げる癖がつくかもしれません。

1と2では大きな違いがあります。自分への信頼を強化する考え方になるか、卑屈を強化していく考え方になるか、人生への影響は大きそうです。

受験を例にしたので、主に10代に関わるものですが、テーマを変えても同じことが言えるのではないでしょうか?

病気や何らかの困難にぶつかった時、困難を具体的なパーツに分解して理解し、必要な対処をする。何かしたからといって魔法みたいに状況が好転することはないけれど、好転すると信じてやり続ける。

これって、根性じゃないかと思います。

やってみて合う・合わないはあるけれど、やらなければその後自分の行動基準がいつまで経っても出来ない、自分で判断ができない状態に陥りかねないと感じます。

今はこの目的(自分で決めた)のために、力を集中するといった判断、その試行錯誤こそが自分だけの方法の編み出し方であり、どんなに調べてもそれに辿り着くまでのショートカットはなく、心折れずに続ける他ないと思います。

私はその境地に達していませんが、この過程を苦しみながらも自分を頼りにして進むことこそが、”主人公として生きる”に通じることかな、と考えています。

主人公とは元々仏教の禅の言葉です。世間の囚われから出て、自分を生きることを指しています。(禅についてはこちらに書いているので、よかったら読んでみてください。)

こうなりたい・したい、と思っても続かなかったり、楽な方に流れてしまうこともあります。しかし、長い目で見た時、合理的に得だと思える判断をする練習が自分自身必要だと思っています。

読んできただき、ありがとうございました。






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