【ジャッカル通信】松屋さんとわたし
ディンゴの20年来のタッグパートナー、中国地方在住のジャッカルさんがまた、テキストを書いて送ってきてくれましたよ。
'00年代後半の東京砂漠にめしを求めたエターナル与太郎・ジャッカルさんの回顧録を、誰か読みなさい。パパウパウパウ(ディンゴ)
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エー。相変わらず「みんなの食卓でありたい」などと寝言を申しておりますのが、この町内でも評判の与太者、牛丼チェーンの松屋さん。今日はチョイとその松屋さんとの思い出をね、軽く綴らせていただこうとね、そう思ってるんでェございやす。
はじまりの余談
わたくしジャッカルは三交代制の肉体労働に従事しておりますのですが、となるとお仕事オワリが25時なんてシフトもザラなんですね。25時。考えてもみてください、それって深夜1時ですよ(あたりまえでしょう)。ま、そうすると当然、お腹が空くわけです。空くのですよ。空かない人がいてもいいんです。だが! 私は空く、空きます。これぞ多様性。空腹は最もパーソナルな感情にござい。
さておき。25時にめしとなると、営業中のお店はちょっと探さないといけません。しかしてコッチは地方都市の片田舎ですから、25時にやってるような便利なお店はそうそうありません。選択肢はだいぶ限られます。
今日は松屋さんのお話から始まりましたから、同じ牛丼チェーンの吉野家なんてどうだい、ってな御仁もおられますでしょう。実は吉野家さん、なんとわたくしの帰路にちょうど一軒ありやして…ただココ、26時かそこらがラストオーダーなのでねえ。わたくしの場合、チョイと残業が弾んでしまうと、この吉野家さん帰る頃にはもう真っ暗なんですね。
じゃあすき家はどうだ。すき家さんは、なんかねえ…個人的に好かんのでね、土台、今生で二、三回しか行ったことがないんでありやす。わたくしジャッカルといえば岡山の誇るシャイボーイですから、25時に、そんな通い慣れないお店にゃ行けません。却下。
となるとやはり、けっきょく、とどのつまりは松屋さんに白羽の矢が立つわけなんでございやす。松屋さん、バンザ~イ。…まあココまでのお話はイヤガラセの余談なので、ジャッカルは松屋びいきなんだ…という一点だけ押さえておいていただけたらよろしい。なら書くなよ!
ここから本題ですよ
そんなわたくしでございますが、実は松屋さんにも吉野家さんにも、上京するまでほとんど行った経験がないピュアボーイでございました。
まだ地元にいた高校時分にも買い食いなんかはしたんですが、もっぱらコンビニorマックめしでして。あの時代はデフレもデフレ、デフレの極みでございまして…ハンバーガーがひとつ、80円とかだったでしょうか。
そういう時代に上京を果たした、偽シティボーイのわたくしですが…というか、今回は松屋の話のはずだろう、松屋のお初はいつなんだと皆々さまもお思いでしょうが、まあまあ、そんなに焦りなさんな。原稿を一度、ほぼ完成まで書いたヤツが操作ミスで消えたもんで、こちとらやる気がダダ下がりでございます。
ボーイ・ミーツ・松屋
'06年の上京直後、春のことでございました。
桜の花びらも散り、穏やかな風に舞う季節。それが春。
某サークルに入会して早々、我が友ディンゴ…の、お兄さまに連れられて足を踏み入れたのが、松屋さんのお初でございましたね。大学のごく近くに、一軒イイ感じに松屋さんがあったんですね。
あのとき、一体なにを頼んだのやら…なんて思って当時のメニューを調べてみたら、案外アッサリ思い出しやした。ごぼう牛めし。
なんという飾りっ気のなさ。無骨さ。ああ。ああ播磨灘。
…ま、何を食べたとかはどうでもよろしくてですね、とにかくそれがわたくしと松屋さんとのファーストコンタクトであったと。そういうことなんでございます。で、これ以来、制限時間ギリギリの23時ごろまで部室でダラダラとクダを巻き、帰路の松屋でめしを入れつつまたクダを巻く、そんな日々がはじまっていったわけですね。松屋さん、バンザ~イ
おわりの余談
そんなどうしようもない毎日を続けておりました、ある日のこと。その日もわたくし、ディンゴと松屋でめしを入れておりました。
で、松屋さんといえば、無料のお味噌汁でございますね。だがしかし、この日は待てど暮らせど、そのお味噌汁が出てきませんでした。まあ忙しいのでしょう…と慈悲の心で待ちに待てども、一向に来ず。
仕方ないんで、お味噌汁ないんですけど~と控えめに主張したら、アアすみませんと届けてもらえたのがこれ。↓
この揚げ格差はなんでしょう。これが神の望んだ世界ですか? たかが味噌汁ごときに舐められたとあっちゃあね、沽券に関わるんだコッチも。おらあ戦争じゃあ! …とはならず(あたりまえでしょう)、ワハハと飲み干して帰ったのでした。めでたしめでたし。
と、そんな一夜のことを夜勤明け、松屋でビビン丼(並)を食べながら思い出したので記す。(了)