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以下、無用のことながら。――どなたかのヒクソン論を拝読して

本日、こんな記事をレコメンされまして

思わずオッ、と思ってしまうようなタイトル。「400戦無敗」と謳われ、実際にプロ格闘技では無敗の武道家ヒクソン・グレイシーに”弱者戦略”を学ぶというのですから逆説的で、好奇心を強く煽られます。どんなことが書いてあるのかな。

 1990年代前半のUFCでは、ほぼ『ノールール』の試合が基本でした。しかし、ヒクソンは試合前の交渉において、道着やグローブ着用の任意化、頭突きや肘打ち、金的攻撃といった特定の打撃を禁止する条件を取り入れ、自分の得意とする寝技に持ち込みやすい状況を作り上げました。

https://note.com/aiethics496/n/n4ffedcd2fe75

これは事実誤認で、まずヒクソンはUFCに出場していません。'93年の第1回大会で優勝したのは弟のホイス・グレイシーですね。
また、UFCで頭突き&金的への攻撃が禁止されたのは、'97年以降の大会です。一方、ホイスがキャリア初期にUFCで活躍したのは'93~'95年。初期UFCにおける彼のファイターとしての活躍と、頭突き&金的禁止ルールの成立に直接的な因果関係はないと思います。
肘打ちは垂直方向の肘打ち(12時→6時方向エルボー)だけ禁止ですが、それ以外の肘打ちは現在も認められていると思います。12時→6時方向エルボーがいつから禁止になったのかは、ちょっと検索かけないとわかりません。すみません。

※「UFC」公式によるユニファイド・ルールの紹介。12時→6時方向エルボーは禁止と記載されております

 ヒクソンがプロレスラーの高田延彦と対戦した試合は、ルール交渉による戦略が如実に表れた例として有名です。

オープンフィンガーグローブの採用
 手の自由度が高いグローブを採用することで、関節技や絞め技を繰り出しやすくし、寝技への移行をスムーズにしました。

https://note.com/aiethics496/n/n4ffedcd2fe75

素手でか、既存の格闘技グローブ着用の状態で戦わせていた初期「UFC」に対し、オープンフィンガー・グローブ(OFG)を開発して'89年からは試合での着用を義務化していたプロ「修斗」。
OFGというアイテムが成立するまでには佐山サトルの基礎研究にヒクソンら多くの格闘家がジョインし、長い試行錯誤を経て洗練されていった経緯があるので、確かにものすご~く大局的に見れば、「PRIDE.1」('97)で髙田にOFG着用を強いたのもヒクソンだった…と言える可能性もなくはないかもしれません。ただまあ、'97年当時のプロ総合格闘技イベントではすでに、OFG着用が基本的なトレンドでしたよね。ヒクソン個人の意向とかは、あんまり関係なく。

続きます。

打撃の制限
 高田の得意とするパンチや肘打ちを制限し、自分の得意とする土俵である寝技の展開に持ち込み易くしました。これは、ボクサー相手にパンチを禁止して試合を行うようなものです。たとえば、身長164cm・体重52kgの辰吉丈一郎(元WBC世界バンタム級王者)と対戦するとして、相手がパンチを使えない状況では、寧ろ『どうやったら負けることができるのか』と悩むほどの有利さが生まれます。これこそ、相手の得意技を封じる戦略の真髄といえるでしょう。

https://note.com/aiethics496/n/n4ffedcd2fe75

実はつい昨日にも「桜庭和志はストライカーだった」という見方を知ってナルホド~と思っていたぐらいなので、「髙田延彦はパンチと肘が武器だった」という見方を提示されても一概に否定はできないんですが、世間的には新説といえば新説だと思いますので、できれば論拠も併せてご提示いただけると助かります。辰吉に重ねられるほどパンチ偏向の格闘家だった気は、今のところは、かなりしていません

ちなみに「桜庭和志ストライカー説」はこちらの有料記事より。↓

長くなってきちゃったので、このへんで。読みながらいろんなことを思い出せて、とても楽しい記事でした。

ヘッダー画像はヒクリン

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