「日本の刑事司法を考える-人質司法、性犯罪無罪判決をめぐる動きをテーマに-」を読んで(感想・私見)

先日、カルロスゴーン氏の事件の弁護を担当される高野隆先生、多くの無罪判決を勝ち取っている経歴があり高野先生とも弁護人を共同で担当された経歴のある趙誠峰先生(@cho_seiho)、最高裁GPS判決の被告人代理人を担当された亀石倫子先生(@MichikoKameishi)による鼎談記事を拝読した。(URL:https://www.savethenewage.net/blog/liberty1)


お三方はいずれも刑事弁護の世界では輝かしい実績を有しており、この記事のコメントにも大きな示唆を得た。ただ、雑感として少々疑問ないし思うところがあるので、新人弁護士の私が何かをさしはさむのは少々僭越でもあることを承知しつつここに記す。

1.罪証隠滅のおそれという要件

(1)前提

逮捕勾留というのは被疑者被告人の公判への出頭を確保し証拠を保全することを目的として行われる(逮捕につき刑事訴訟法199条1項ほか、勾留につき同法60条1項各号ほか)。被疑者被告人に対する罰ではないのはもちろんのこと、捜査機関の補充捜査を確保するために行われるものでもない。

日本の刑事訴訟法では被疑者被告人が自己ないし第三者を通じて証拠を隠滅する可能性を念頭に置き、その客体・態様、実効性、主観的可能性を検討し、ある具体的な行動を被疑者がとることで証拠が隠滅・偽造・汚染されることを防ぐ仕組みになっている。

そのため、罪証隠滅の恐れは検察側において具体的に疎明されることが必要である。そして、検察側においてその証明ができる場合とは多くの場合問題となる証拠方法と想定される被疑者被告人側のアプローチの仕方が具体的に想定されることになる。

(2)記事のコメントについて

以上を前提に罪証隠滅に関する高野先生のコメントの内容を引用する。

(高野)日本では、被告人が「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がない」ことが保釈を認める要件とされているけど、アメリカやイギリスの法律には、こういう要件は存在しません。アメリカやイギリスでは、①逃亡するおそれ、②コミュニティに対する危険、がないことという2つなので、証拠の隠滅なんていうのはそもそも発想としてないわけ。警察官が集めた証拠を検察官が守る、っていうのは当たり前の話で、それを被告人を拘束して守るっていうのはそもそもアンフェアだと考えてる。だから、「罪証隠滅のおそれ」を理由に保釈を認めないっていうのは、英米では考えられないんですね。
亀石
なるほど。高野先生は、権利保釈の除外事由(刑事訴訟法89条4号)としての「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」は、撤廃すべきと考えているということですね。
高野
そもそも勾留の要件(刑事訴訟法60条2号)として、なくすべきと考えています。罪証隠滅って、被告人の身柄を拘束したからって防げるものではないわけで、被告人以外の人の協力があってはじめてできることだから、むしろそういうことを取り締まるべきなんですよね。偽証教唆とか証人威迫といった犯罪があるわけだから、そういうもので取り締まるべき。

1番目の引用部分は英米ではこういう考えですよ、ということを高野先生はおっしゃっている。ただ「検察官が証拠を守ることが当然ということ」と「被告人を拘束する手段をとることがアンフェアであること」は論理的には直ちにつながらないことには留意すべきである。なぜ英米では証拠保全のための被告人拘束がアンフェアと考えられているのかという点については引用記事では説明はない。証拠保全は検察官の行動により自己完結する性質のものではない点を考えると、証拠保全において被告人の行動を縛ることが必要な場面は皆無であるとは言えず、証拠保全の必要性それ自体についてはそれを否定しえない以上、証拠保全のための被告人の拘束一般をおよそ否定すべきという論理はにわかに一般論としては採用しえない。それは日本の刑事訴訟法も同趣旨であると考える。

第3の引用部分において高野先生は偽証教唆や証人威迫という犯罪による取り締まりで対処すべき、というご見解を提示されている。ただ、これらの犯罪による取り締まりは証拠隠匿等がなされたのちの事後対応に過ぎず、証拠が現に隠匿・偽造・汚染されたのちの処罰では、すでに隠匿・汚染された証拠を原状に復し、再取得することが不可能な場合がありうる。事件の決定的な証拠が破棄消滅されるケースなどを想定すれば、それにより公正な裁判が不可逆的に実施できなくなる危険性も理論上は否定できない。このようなケースが一般論として想定できる以上、偽証教唆や証拠隠滅罪での処罰による抑止をもって、逮捕勾留(保釈を含めて)による証拠保全と同様の効果を期待することは困難である。

加えて(1)で述べたように、逮捕・勾留要件における罪証隠滅の態様は疎明段階において具体的に客体と方法についての説明および検討がなされることが想定されるものの、その防止手段として客体足る証拠方法の保護をもって100%確保できるとは限らないケースがある。犯罪組織の一員が逮捕され、まだ関係が明らかではない第三者を介して被疑者被告人が証拠方法にアクセスするケースを想定すれば見知らぬ第三者からのアクセスをすべて証拠方法側の監視塔で防ぎきることは困難であり、被疑者被告人自身の身柄を抑え、アクセス制限をすることの方が根本的に罪証隠滅の恐れを取り除くことに資するケースも存在しうる。

もちろん、一般・抽象的な可能性をもってして被疑者被告人に対する罪証隠滅の恐れを認定してはならないし、勾留・保釈及び接見禁止を認めるにしても条件を必要以上に加重することは適切ではない。ただ、高野先生の提言はおよそ一般的に罪証隠滅防止のための被疑者被告人の拘束を排除するというものでありそれは上記のような状況から採用は困難である。

2.立法当初の経緯と立法後の法の運用について

次に高野先生及び趙先生は以下のように刑事訴訟法の立法経緯について説明される。

(高野)じつは、今の刑事訴訟法が国会で審議されていた当時、いまから70年前に、心ある国会議員たちから、「事件を否認していれば、罪証隠滅のおそれありとなって保釈が認められないのではないか」という懸念が示されていました。そのなかには弁護士もいたんだけど、「そんなことしたら否認事件では全然保釈が認められなくなるじゃないですか」と異論を唱えていた。否認しているとか黙秘しているからといって保釈を却下してはいけない、というのが立法当時の発想だったんですよね。それがいつのまにか、裁判官の考え方が徐々に変わってしまった。

だから僕は、今の法律のままだと保釈の運用が改善されない、という論調はおかしいと思いますよ。つまり、立法意図からすると、罪証隠滅に関する今の裁判所の判断の仕方は間違っているわけで、法律を変えなくたって、本来だったら保釈の現状は改善できるはずなんです。だけど裁判所が全然変わらないから、法改正も考えざるを得ない。そういうことだと思います。

一般に、立法当初の起草者の意図や法上に関する経緯というのは法が施行された際にも参照され、それにのっとって法が運用されるのが法を尊重する司法の態度として適切であることは肯認できる。

しかし、法は一度立法されたのちは様々な個別具体的な事件に対する判断基準として機能し、その解釈提示の過程で新たな意味が解釈上付与されたり、当初の解釈が変更され実態に即するように変容することは当然ありうることである。これは法の変容ないし司法の法創造機能の一種として多くの国の法において認められている解釈適用手法である。

そうすると、本件でも当初の起草過程では両先生の言うような審議過程があったことが認められるとしても、それが直ちに一度制定された刑事訴訟法の法解釈基準として依拠することを義務付けられることにはならない。

もっとも、両先生の真意は、趙先生がおっしゃられたように保釈の現状(おそらく否認事件であることを理由に安易に保釈請求を却下していると両先生が裁判所に対して認識している状況≠実際に裁判官がそのような運用をしていることを意味しない)を裁判所が顧みて、本当に保釈要件を満たしているのかフラットに判断してほしいという点にあり、そのために法改正は必ずしも必要ではなく運用レベル、解釈レベルでできることはあるはずだとおっしゃっているものと認識する。

それはまさにその通りであり、もし本当に刑訴法上の要件を具体的に検討することなく、被告人が事件を否認していることを直接の理由にして保釈請求を却下している事案があるのならば、その事件を担当する裁判官には責任を持って判断をしていただきたいと思う次第である。

尤も本当にそのような安易に否認事件であることから直接保釈請求を却下している裁判官がいるのかどうなのか、それが保釈請求事件を担当した弁護士の主観の域を出ないのか、実際のところ客観的な資料がないので安易な断定は避けるべきともいえる。

少し長丁場になったので、続きは別途論考にて。

小規模事務所から知財ローヤーを目指すための試行錯誤の過程を備忘録としてまとめました。