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究極の睡眠学習の可能性
長男に遅れること1年余り、ということは開始年齢についてはあまり変わらないのであるが、次男がドラムを習い始めた。いつでもやるやる(やるやる詐欺のことも多い)という長男に対し、なんでもやらないやらないと言い続ける次男が、初めて自分でやると言ったことなので、天変地異レベルのめでたさである。
体のサイズの問題(踏めない届かない)で、最初はドラムスティックではなく、手のひらで叩けるシンセサイザーパットのようなものを用いることになった。とにかく本人の好きな曲を叩けることになったので、嬉しそうである。
しかし、レッスン開始時間が夕方であり、少し遠いためか移動中に寝てしまう。次男が起きられず、2コマ連続の個人レッスンのため、後で教えてあげてねと長男に対し次男の課題曲のレクチャー、および長男の課題曲レッスンとして、次男のレッスン時間は消化されてしまう。
そして、教室を後にしてから起きた次男に「ドラムは?」と聞かれる。母としては複雑な心境の瞬間である。
ここで面白いのが、二人のレッスンに対する取り組み方と、レッスンではない時の取り組み方である。
長男は、自宅でほとんど練習しない。教室に行って、半ばふざけながら(のように見える)レッスン時間を消化する。しかし、翌週のレッスンの時には指摘されたところが前より叩けるようになっている。
次男は、楽器はうちにないが、まくらでも、クッションでも、厚い本でも、音楽を流してくれといい、叩く。課題曲も、そうでない曲でも、自分で演奏をして満足そうな様子である。しかし、それを先生に見せることについては、寝落ちという形で回避している(ように見える)。
教室でだけ習っている(ように見える)長男。家で自発的に練習しているが、レッスンで先生には見せようとしない(ように見える)次男。
しない時間が上達に必要な時間であるのか、やって見せることが非常に重荷で狸寝入りまでする必要があるのか、それぞれ性質の違いなのだろう。
受容されているという安心感が、なぜか技術の向上につながっている人と、技術の向上につながることをしているのに、自分に対してコメントされることを避けたい人なのだろう。
かくも人間はブラックボックスである。