自分にとって文章を書くということについての話。
文章を書きたくなって始めたnote。
書くからには正しい文法も知っておくべきかと思って調べてみた。
「ここでカギカッコ」
「カギカッコの中はなんちゃらカッコ」
「ここで句読点」
すると書きにくくなった。
変なところ完璧主義なのが原因だと思う。
間違えちゃいけないと思うと走り出せない。
自分のルーツを辿ると昔から文章を書くのが好きだったと思う。
宿題の作文や感想文でも困ったことがなかった。
でたらめな言葉がスラスラと出てきて、思ってもいない事でもいとも簡単に書けてしまった。
小学生にして文字の稼ぎ方も知っていた。
掘り下げたり、引っ張ったり、引用したり。
そんな文章に価値はないとわかっていたけど、みんなより早く書き終えてしまうのがいけない気がして、長引かせていたのだ。
そして、長い文章を書けば先生に褒められたからでもある。
そんな適当な文章でもちゃんと中身を褒めてもらえたことがある。
小学生の時の作文だったと思う。
宿題で出された作文で病院に入院しているおばあちゃんのことを書いた。
「たくさんの線につながれているおばあちゃん」と書いたのを覚えている。
その他にはどんな風に書いたか覚えていないけど、特に感情を込めて書いた記憶はない。
ただ、自分でも踏み込んだことを書いた作文だったのは覚えている。
身内の入院している様子を書いたのだから、なかなかデリケートな話だったと思う。
保護者にも見られるプリントに載っていたので、自分の親はなんて言うか少しドキドキしていた。
そのドキドキとは裏腹に、特に反応がなかった。
でも、お向かいに住んでる幼なじみのお母さん(第二の母と思ってる)がとても褒めてくれたのだ。
しかも、涙してくれたと言ってくれた。
よその子の作文を読んで感想まで伝えてくれるなんて、やっぱり良い母だと思う。
それから時々、家にあった家族共有のパソコンで物語みたいなものを書いていたと思う。
誰に見せるつもりもなかったが、共有のものなので母親に見られていた。
文章の間違いを指摘されたわたしは恥ずかしくて二度と書かなくなった。
そのあとは、友達と開設していた魔法のiらんどやmixiなんかで友達しか見ない文章を書いていた。
時々友達から反応があると恥ずかしかったが、少し嬉しくもあった。
決まり口調から始まるわたしの痛いブログに茶化す人も出てきて、自然と幕を閉じた。思春期だし。
「わたしが書く文章好きだったのに」と言ってくれた人のことは今も好き。
深い意味がなかったとしても、誰かのささやかな一言が残っているものだ。
そして、今ここでまた書いている。
あの時のような文章は書けないし、文法を守ることもできないし、言葉がスラスラと出てこなくもなってきた。
言葉以外で何かを表現する人に憧れもあるし、自分もそこを目指す途中にいる人でもある。
でもやっぱり、自分を振り返ってみるといつも書いていたと思う。
原点はここかなと思う。
深い意味なんて持たないし、誰かの何かを変えるようなものが書きたいわけでもない。
ただ、頭の中をグルグルしている言葉たちの行き場が欲しいだけ。
とか言いながら、ここでスキ♡を貰えると嬉しくなる。
誰かに届いていますって素敵すぎる。
noteってすげぇ。