親からもらった最初のプレゼントの話。
わたしの名前には親からの願いが込められている。
生まれてくる子どもへの最初のプレゼントが「名前」とよく聞く。
先日見ていたドラマでもそれがテーマとなっており、
あーその話しちゃうのね、と思った。
長男にもよく自分の名前の由来などは聞かれていた。
わたしも夫も「なんとなく」で決めたので深い意味はない。
字画も一応調べたが、そもそもどこを参考にするかによって違ってきてよくわからなくなった。
何個か候補はあったけど、生まれてきた子の顔を見て決めようと話し合っていた。
格好よく言っているが、今思えば何事もギリギリで生きていたいわたしたち夫婦の典型的なパターンだった。
次男に関しては雰囲気で、なんとなくで、生まれる前から決めていた。
一応、家族会議という名目のものは行なったが、
わたしが決めていた名前で良いかという半強制的な可決を取るだけのものだったと思う。
なぜ名前に意味を乗せなかったか。
思い返せば、思春期の頃に自分の名前の由来を親に聞いた。
しっかりと親からの願いが込められていた。
特に母親からの願いだった気がする。
周りの同級生たちは平成らしさのある名前で可愛らしく思え、
自分はなぜこんな古い感じの名前なのだと思った。
自分の名前の女性がどこかの物語に出てきた時は、
三枚目だったり、ちょっと不憫な役だった気がする。
(同じ名前の方ごめんなさい)
そして、その願いについてよく考えるようになった。
「素直」とはなんなのか。
未だによくわからない。
美味しいご飯を食べた時やあまり美味しくなかった時、
つまらない話を聞いている時や興味がない時なんかはよく顔に出ていて
わかる人にはわかるらしい。
好きと思ったら周りに否定されても好きだし、嫌いと思ったら顔も見れなくなる。
でも、性格はねじれている方だと思う。
そもそも生まれ持ってのものもあると思うので、自分にはどうしようもないんじゃないか?
そんなことをネチネチと考えている時点で名前に負けている。
とにかく、その「素直」というよくわからないワードを
「産んでくれとも頼んでねーよ」なんて思ってた恩知らずの思春期を過ごしていた自分が背負うには重すぎてどんどん自分の名前が嫌いになっていったし、苗字も絶妙にダサかったのが相まって余計に嫌だった。
(ほんとごめんなさい)
そして、十何年か時が経ち名前をつける側になり、
我が子に「なぜ僕にこの名前をつけたの?」と純粋な目で聞かれて困った。
何かとてもかっこいい理由があるのではないかと期待しているような目だ。
「なんとなく」だけでは申し訳ないような気がして、
一応、発想の元となった人がいる事や母として願いを乗せたくなかった理由なんかを説明した。
「親の期待や願いなど気にすることなく、そのままの君で好きに生きていってくれ。」と、正直に伝えた。