僕のどもり(吃音症)が治った理由。
僕は交通事故にあった後からどもりが出るようになった。
吃音以外にも、視点が合わずに文字が読めないとか、文字の理解が出来ないとか、物が持てないとか色々あったけど、最初は自分がどもっている事に気づく事すらなかった。
自分の頭の中では文体が出ていて、その通りに喋ってるつもりでいたけど、そうじゃなかった。
それは友達や周りの指摘で気づいた。
バカにされたり、笑われたりもした。
そして、僕がそこに気づいて落ち込む事もあったけど、その時に決めた事があった。
それが
どれだけ、どもっても、笑われても、自分が自分の事を恥ずかしいと思わない事。
周りの人がバカにしたり、笑っても、自分で自分の事をバカにしたり、笑ったりは絶対にしない。
変えられない事実を変えられない自分を責めるより、変えられない事実を受け入れる事を選んだから。
そして、ここは本当に考えた。
どもりの何が恥ずかしいの?どもりはなぜバカにされないといけないの?
ここを考えた時に、人の弱みに付け込んで優位に立ちたい人が考えた事だろうと思った。
だから、僕はそのような人達の考え方は採用しないと決めた。
だって、その人達の考え方を採用する必要もないし、採用しても何一つ自分にとって良い事はないから。
そして、僕はこのような考え方で、どれだけどもろうが言いたい事を最後まで喋ったし、バカにされても笑われても、自分を恥ずかしいとは思わない事に決めた。
最初はどもっていた自分を受け入れられなかったけど、受け入れていく中で、どもっても喋ってる自分かっこいいとさえ思うようになった。
だって、普通の人じゃ起こらない逆境を乗り越えてでも、自分の思いを伝えたいから諦めずに伝え続ける。
それって、かっこいいやんって。
そして、僕は何年か後にどもらなくなった。
自分がどもっていない事に気づいたのは、友達にどもらなくなったって言われて気づいた時だった。
そのくらい、どもろうがどもらなかろうが気にならないくらい、どもると言う事を受け入れていた。
そして、僕がどうしてどもらなくなったんだろうと思った時に
自分なりの結論ではあるけれど
どもったままの自分を受け入れる事と、どもる自分をバカにしないと決めた事と、伝えたい想いをどれだけどもっても最後まで伝える。
これが大きいんじゃないかと思っている。
自転車でも最初は乗れなかったけど、諦めずに乗るうちに出来るようになった。
最初は思うように言葉が出なかったけど、諦めずに最後まで伝えるうちにスムーズに話せるようになった。
僕は結果的に吃音症が治ったけれども、治っても治らなくても構わないとも思ってた。
それより僕が大事にしたのが、現状を受け入れる事と、自分をバカにしない事。
それが何より大きかったから。
人と違うからって、バカにされていい存在じゃない。
うまく出来ないからって、笑われていい存在じゃない。
人にバカにされたからって、バカにしていい存在じゃない。
自分自身を大切にする。
そうやって、思ってたからなのかなって思う。
どもろうがどもらなかろうが、自分自身の尊さを、自分自身を大切にする事は出来る。
僕の吃音症が治った理由は、この気持ちが一番大きかったんだなと感じている。