13年前の自分に言いたいこと
僕が育った家は母が専業主婦で、父は家事をほとんどしませんでした。「お父さん家のことできないけど単身赴任大丈夫かしら」と母が心配したほどで、我が家での家事の分担は母:父=10:0の割合でした。
(休みの日にトースターで家族全員の分のパンを焼くとか、雨戸の開け閉めくらいはやってたと思うけど、そんなのカウントに入らないよ父さん)
それが不思議なこととは思いませんでした。サザエさんやのび太のママは家事をしているけれど、マスオさんやのび太のパパはあんまりしていないし。深く考えたこともありませんでしたが、そんなものかなと思っていました。
いっぽう、妻の両親は2人とも小学校の教員をしていました。共働きのため、義父も多少は家事をしていたようです。妻の話を聞く限り7:3くらいでしょうか。
妻は子どもの頃「同じ仕事をしてるのにお母さんのほうが家事をたくさんやるのはしんどそう。なんだか不公平だなあ。もっとお父さんも家事をすればいいのに」と感じていたそうです。
つまり、専業主婦10:0システムに疑問を持たずに育った男と
共働きをベースに家事分担の在り方に問題意識を持って育った女
が結婚したわけで、今思えば、これは結構危険な組み合わせだとおもいます。
この2人の感覚の埋まらない差・隔たりは個人の問題でなく、社会問題ではなかろうかとずっと思っていました。
●社会の急激な変化と女性の社会参画の歪み
●育った家庭の家事分担モデルに基づく価値観の形成
●世代間のギャップ
しかし、いま僕は13年前の、つまり結婚当初の自分に言いたい。
「はぁ?あほかおまえは。時代のせい?親のせい?ちゃうやろ。甘えんな。おまえの問題やろ。社会問題と捉えて何の解決になるねん。解決するためには腹くくって家事力上げるしかないんよ。あと、本当の闘いは子ども産まれてからだから。共働き育児篇に比べれば、夫婦2人暮らし篇の家事なんて、練習問題だから。余裕だから。来るべき格闘の日々に備えておまえが家事力を向上しろ。料理とか、やってたら面白くなってくるから。頑張れ。今からやっとけ。そうしないと、まじで離婚危機あるぞ。でも、繋ぎ止めた未来はそんなに悪くない。」
この文章を書いているうちに過去の未熟な自分に向き合うことになりました。13年前の自分に言おうとしたことは、もちろん現在の自分にもブーメランとして戻ってきます。
変な文章になったかもしれませんが、そのまま投稿します。
好きな小説の一節に
「私たちは世代で生きてきたんじゃない。個人で生きてきたんだ」
というのがあります。
自分の問題については時代や親のせいにせず、責任を引き受ける強い気持ちが必要と思うし、自分はそれにもっと早く気づくべきだったなと思うのです。(でも気づいたのが遅すぎることはないはず)