宿場町にて、夜

 主人が持って来た酒を半次がちびちびと飲むのを茂太衛門は黙って眺めていた。こちらを焦らすためのことと承知はしていたが、そのようにして待たされること、そして、待たされることを受け入れていることには穏やかな気持ちはしなかった。そして、その心の波を見られないように苦労していることを半次に見透かされているのではないかというのに怯えていたし、怯えている以上、それが伝わっているだろうということにも心をかき乱されていた。
「で?」
 半次が急に口を開いたので、覚えず茂太衛門の体は震えた。この場所に通されて半刻ばかりで、半次が最初に口にした言葉がそれだった。
「我が公は10日ばかり後にこの辺りをお通りになる。当地は尊王攘夷の争いの激しい地であるところから、畏れ多くも公の身に何かあると取り返しが付かぬ。公は尊王とも攘夷ともご自分の立場を明らかにされていない。であるから、双方からの襲撃を警戒せねばならぬ。しかし、我々は当地の情勢には甚だしく疎い。そのため、貴殿のお力添えを願いたいと思い、こうやってご足労願った次第だ」
 半次が聞いているのか聞いていないかはわからなかった。茂太衛門が思ったよりも無頼の徒であるに違いなかった。武士らしいところは一つもない、でっぷりとした腹を引きずり、赤ら顔の唇はだらしなく、しかし目は沼のようで、何を考えているかわからなかった。
「500両」
「ぐっ」
 思わず声が出てしまった。吹っかけられるだろうというのはわかってはいたが、これほどまでとは考えていなかった。
 茂太衛門は頭の中で必死に計算した。出せる額のことではない。どうこの場を切り抜けるかのことである。こちらで準備していた額の話をすると、下手をすると命がない。では、この場で蹴って去るか。それは額を聞いた瞬間にせねばならなかったであろう。機を逸してしまった。しかし…。
「仕方があるまい」
 そう言って席を立った。そして、座敷から出た。半次は何も言わなかった。
「お帰りですか?」
 主人が玄関で待っていた。この場で切り捨ててしまいたいと思った。元はと言えば、半次のことを吹き込んだのはこいつだった。最初から愚弄するつもりだったのではないだろうか。
「すいませんが、今度お泊まりになる時に、今日のお代を頂戴しても?」
 茂太衛門は小判を投げた。
「へえ。でも、あの方が後どれくらいお飲みになるか…」
「うるさい」
 思ったより声が小さいのを茂太衛門は恥じた。

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