猫を飼う、生きている

 猫ならなんでも興味があるから、お家まで遊びに行った。
 迎えてもらった部屋の中はきちんと整理整頓されていた。「本当は物は全く必要ないんですが、どうしても、人を迎えるとなると、体裁だけは整えなければいけなくて」と言って柏原さんは微笑んだ。
「猫はどこですか」
「ああ、今、連れてきます」
 猫がやってきた。黒猫だった。
「えー! 可愛い!」
「そうでしょう」
「あの、こう言っていいかわからないけど、「猫」ですね」
「ええ」
 柏原さんは嬉しそうだった。というのは、この猫はロボットだからだ。ついでに言えば、柏原さんもロボットで、ロボットがロボットを飼うというのに興味があって来てみたというのもある。
「どんな感じですか、その…」
「それが、よくできているのですよ」
 ロボットがロボットによくできているというのだからよっぽどなんだろう。
「どこがです?」
「何をするかわからないんです」
「ロボットなのに?」
「そう」
 柏原さんは嬉しそうに猫を撫でている。
「失礼ですが、人間は何をするかはある程度予測できます。動物はできません。その、動物の部分を、非常によく再現してあると思います。正直、困ったな、となることもあります」
「それは、大変じゃないですか」
「ええ。でも、それは私が初めて手に入れる感情ですから、あればあるだけ良いのです」
 柏原さんは猫を撫でながら静かに言った。
「それが、生きている、という感覚かも知れないからです」
 しばらくして、私は柏原さんと一緒の職場を離れた。柏原さんとは年に一度会うか会わないかになり、その間に私は歳を取って行ったが、柏原さんはいつでもそのままだった。もっとも、ロボットだから、当たり前なのだが。
「いえいえ、そんなことはありません。やはり、パーツに不具合が出始めています」
 そう言って、ふっ、とため息をついた。
「永遠の命、なんて物はないわけです」
「え、そうなんですね。意外」
「ええ、意外でしょう」
「じゃあ、猫も?」
「ええ。なかなかうまく飛び上がれなくなっていまして。私が跪いてやらないと、もう私の肩までは上がることができません。もっとも、私は跪いたらその後立ち上がるのが一苦労なんですがね」
 別れは突然やってきた。出勤してこない柏原さんの様子を見にいくと、跪いたまま、動かなくなっていた。その肩の上に猫が乗っていて、これも動きを止めていたという。
 結局、生きているとは、二人にとってなんだったんだろう?

kneel/跪く

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