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節分&初午祭2020

2020年2月3日 節分祭(厄年のお祓い)と少し早い初午祭が天満神社で行われました。少し前から稲荷の狐像の前掛けが古くなっていたので、機会があれば寄進したいなっと用意していたのですが…普段誰もいないのでキッカケがなくて💦前掛01

誰かいるのかなーっと狸おやじさんつれて天満神社に行ってみると…
お稲荷さんの旗を建てたりお祭りの準備中⭐︎でちょっとだけお手伝い。
前掛けの寄進も快く受けていただきました♪にはは🍃th_前掛

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午前中3回に分けて厄年の人が厄払いに来るのが慣習のようですね⭐︎
でも結局、この日にはどなたも天満神社にはおいでになりませんでした。
ま、氣比神宮やその他の神社でもお祓い受付されていますからね…💧

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お祓いは天満神社本殿(旧佐和山神社殿)内で執り行われるので、実は本殿に座する貴重な機会なのですよ♪ 本殿のことは下の方で述べますね⭐️
では続いて七面稲荷で初午祭です。th_初午

以前の台風で拝所が無くなり本殿に神前幕を…やっぱり長い💧にはは🍃
お供えをして皆で玉串を奉奠しましたよ。th_初午00

祭事が済むと、カラスがきちゃうので捧げ物もさっさとお片づけをして
お祭りはおしまいです⭐️
リーフレットをいただいたので天満神社本殿のこと少し貼っておきますね。
歴史はありますが、敦賀空襲で木造物は全て焼失しました。現在の社殿は
昭和35年に旧佐和山神社の社殿を譲り受けたものです。画像7

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お片づけの時に社殿内を見せていただいたのですが、拝殿、本殿の天井ともにそれは美しい天井画でした。ただ台風の被害でいくつか外れかけていたりとそのままの状態で維持されていました…💧
本殿も補強で囲われたままで、かなり痛んでいますのでまた台風や震災がくればひとたまりもなく崩れ落ちそうですが、こればかりは前掛けのように簡単にはいきません🍃県の文化財指定とはいえ…心配は尽きませんのです。

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今回の蛇足コーナーは【戦災の様子と稲荷神社】
敦賀市立博物館1Fに海陸運輸さん提供の昭和23年の様子を写した
パネルがあり、ここに天満神社がよく写っていました。
受付の方にパネル写真いいですか?とお尋ねしてパチリいただきました♪画像9

部分拡大と色目を編集してみると、
木造建築物は焼失したのがよく見て取れます。画像10

当時まで稲荷社は、今と逆(本殿に向かって右)側にありました。
天満神社界隈は色街として戦後まで数百年間栄えたので、南鳥居から稲荷に続く参道はもしかしたら不浄の身の上でも稲荷にだけは参拝できるようにと勧請されたのかなーと勝手に想像してしまいます🍃
稲荷社は敦賀郡神社誌(昭和8・1933刊)では創立年代不詳とありますが
敦賀志(弘化〜嘉永・1850頃)の書起し敦賀志稿には記載なし(境内七社)
敦賀郡誌(大正4・1915刊)では稲荷神社としてあり(境内八社)
なので江戸末期から明治期にかけて勧請されたぽい?
知らんけどー♪にはは🍃画像11

戦災を乗り越えた石鳥居達も、いまは何も語らずに私達を迎えてくれます♪
⭐️おしまい⭐️
ーーー追記ーーー
南鳥居は昭和貮年の銘がよめましたが、恵比須の鳥居は昭和四十三年七月の銘がありどうやら再建されたもののようでした🍃
実は正面鳥居には銘が見当たらないのですが、
敦賀郡誌(大正4)刊行時の写真を見る限りは今の鳥居に見えますので
移設はあるかもしれませんが戦前からある鳥居であろうと…思います。

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三狐とタキ
最新のお話はTwitterで進んでいますが、 振り返れるようにnoteでまとめ記事にしています。