夜の海
人間社会に無理やり溶け込みながら生活をしています。
外に出ると、やっぱりいろんな人間がいて、それぞれに違った生活があって。とっても素敵で
どうしようもなく息がしづらい。
呼吸が浅くなってしまいます。特に電車に乗っているときは苦痛でしょうがないんです。別に潔癖症なわけではない、スキンシップは好きだ。
正確には、東京という場所が嫌い。大きな駅、よく整備された歩道や一つ路地に入ると薄汚い雰囲気になる都会の雰囲気が気管を通って肺を満たすと思うと、かなり耐え難いものを感じます。そこから連鎖して、外を歩くことが少しだけ苦手になってしまいました。
時を少し遡り
とある日の冬のこと。体の端が凍り付く感覚がちょっとだけ心地よくて。不思議と機嫌が良くて。親に「友達の家に泊まってくる」と嘘をついて、マスクをつけて家を飛び出した。なんとなく駅に行って、ホームも適当に入って、丁度来た行先もわからない電車に飛び乗った。冬場の電車というのは、とにかく暖房が効いていて、家からここまで無意識だったことに気付いたのは、厚着をしすぎていて汗まみれになっていた僕が、トンネルに入った電車の窓に映っていたからなのであった。
ここで、自分がしていることに気付いた。もしかして、とんでもない旅をしようとしてるんじゃないか。こうなったらとことん行こうと、大きそうな駅で降りて、別の路線っぽいところに乗り換える。そして、目を瞑り、イヤホンをつけ、aikoの「えりあし」を聴き始めた。気を紛らわせないと、電車のなかで吐きかねないからだ。
しばらく揺られていると電車の中に乗っていた人はかなり少なくなっていた。自分が乗っている車両には僕を含めて二三人ほど。地元民っぽい人たちが降りる支度をしているのを横目で見た。車掌のアナウンスが言うには、どうやらそろそろ終点らしい。
寂れた雰囲気を感じる改札を通ると、少し強めな風が吹いた。磯の香から察するに、それは海風だろう。どうやら僕は海の街に来てしまったようだ。「かなり遠くまで来てしまったなぁ」と、思いながらコンビニのATMで少し多めにお金をおろした。今日はこの町に泊まってみようと思ったからだ。海沿いの駅なのに、どこか風化していて、指で触れたら崩れそうな建物ばかりだなぁという印象を受けた。
時計に目をやると、短針は7をすこし過ぎたあたりをさしていた。すでに冬至を過ぎていたとしても、もう日は落ちていて、見える光は街灯がぽつ、ぽつとあるだけだった。
僕はわくわくしていた。なんとなく乗った電車に揺られて、ついた場所は人通りの全くない過疎化した海沿い町。なんだか物語の主人公みたいじゃないかと、のんきなことを考えていた。なんてったって海沿いなのだ、民宿の一つぐらいあるだろうと、適当に歩いていると、やはりあった。オフシーズンなのに珍しいなとか思いながら畳の部屋に通された。窓から外を見てみると、真っ暗だった。そうか、窓から見えているのは砂浜なのだ。かすかに聞こえる波の音に触発されて、民宿を興奮気味に出ていった。
コートの前を上までとめて、マフラーをぐるぐるに巻いて顔を埋めた。そうでもしないとそのまま氷の柱になってしまいそうなほど、厳しい寒さだったと思う。だが、マスクをしていながらマフラーをうえから巻いている状態というのは、物理的に息ができなかった。蒸れて気持ちが悪かったから。
「んああああうっとおしい!」
と、マスクを引っぺがすように取ってみると。耳にかける部分のゴム紐がちぎれてしまったではないか。否、そんなことはもはや些細すぎるハプニングなのだった。
通るんだ。
僕の肺は、開放感に満たされていた。サウナに一日閉じ込められていた後に、キンッキンに冷えたお水を流し込んだ時に感じるひんやりとした気持のよさが、僕の喉から肺にかけての通り道を海の空気が撫ぜたのだった。
笑顔だったとおもう。冬の海の空気は、呼吸がし易い。ニュートンには申し訳ないが、僕にとってはこっちのほうが世紀の大発見だったよ。裸足になって海に入って「つめたいっ」って叫ぶのも、楽しくてしょうがなかった。
砂浜の真ん中で寝転がって、空を見ながら、自分の胸が呼吸によって上下する感覚を味わったんだ。
おわりに
寒くなると、この日のことを思い出します。夏の海はあんなに居心地が悪いのに、冬になるといつまでもそこに居れるような気がするのは、この日ことがあったから。
今年の冬、実家に帰ったら。また一人でふらっと訪れてみようかな、なんて思います。
世界もまだまだ捨てたもんじゃないなって感じるお話でした。
それじゃ、また、こんど!