幸せになるより不幸でいた方がラク
なんか思い出したので書いておく。
幸せになるより不幸でいた方がラクなことがある。
生ぬるい水の中にいるような感じで、そこに一緒にいてくれる人がいたら、なおさら抜け出せない。
ひとりじゃない。一緒にいてくれる人がいる。だから大丈夫。
でも、ひとりが寂しいわけじゃない。
ひとりで不幸でいると、不幸でいる自分が間違っているのかなと悩みだしてしまうから。
隣りに不幸な人がいれば、このままでいいんだ、間違っていないと思える。
満たされない心に、鉛のように重い不幸が沈んでいく。
空っぽよりはマシ。
痛みを感じて、苦しみを感じて、やっと生きていると感じられる。
本当は不幸でいたいわけではない。
生きていると感じるためには、不幸でいることが手っ取り早いから、ここから抜け出せない。
これは半分は自分のことで、半分は別の人のことです。
身近にそういう人がいて、不幸だと自覚しながら、抜け出そうともしていなくて、こういう状態なんだろうなと感じていたことを思い出したので書いてみた。
心にぽっかり空いた穴が埋まらなくて、もがいていた時期があったなぁ。
今でもその穴は埋まってない。
一生埋まることはないって分かったから、埋める方法を考えるのではなくて、その穴を活かす方法を考えることにした。
そこに気付けたことで、ぬるま湯から抜け出せた。
でも、ふとした瞬間にまたぬるま湯に浸かっていることがあって。
「いかんいかん。また戻ってきちゃってる。」って気付いて、抜け出すことがまだある。
明らかに不幸そうな人に限らず、ふわっとみんなぬるま湯に浸かっているのかなと思う。
自分だけが不幸なのは焦るしイヤだけど、みんなが同じように不幸であれば気にならなくなっちゃう。
自分が不幸と気付かなければ、不幸ではないとも言えるけど。
幸せの「定義」は分かりませんが、幸せの「基準」は自分自身の中に持っていたいものですね。