中野真作さんのセッション4回目
会社の人間関係の悩みに再びぶつかった。
相手の問題とはいえ、いざ嫌われたり悪口を言われると、「自分の振る舞いをもう少し考えなければ」と自分の中に原因を見つけようとしてしまう。
前回のセッションから「自分はいない、そして相手も自分とひとつのもの」ということを十分感じ取りながら「でも、きっと思考や感情があるかぎり、問題は巡ってくるだろう」と感じていた。
そして、昨日、それが起こって、「人が自分をどう評価しようと自分の価値となんら関係ない」などの言葉を自分に言い聞かせてなだめても、なかなかモヤモヤが消えなくて、「やっぱりきたか」と冷静に思う自分と「一瞥体験してもまた同じことにつまずいている自分」に何も成長していないのではないか(それもストーリーですが)と戸惑っている自分がいた。
その途中で「あ、これ幻想だったわ」と急に我に返って、思わず笑ってしまう自分もいて、その数時間後にまた先ほどと同じようにモヤモヤしている自分がいて、とにかく忙しかった。
前回のセッションのときは「外にあると思っていたもの(車の音や人の声)は全部自分の内側に映し出されたもの」「みんなで感情と思考をシェアしている。だから、他人はいない。他人の中にも自分の中にも誰もいない」「願望実現のマントラ(ガネーシャマントラ)を伝授してもらい、自分の願いは最初から全部叶っているということに気づいた。そして、叶えるべき願望すらない(叶っているから)という皮肉やパラドックスに気づいてしまった」と話したい気づきがたくさんあったが、今回は「一瞥体験後気づいたこと」より「人間意識の自分が悩んだこと」が多めで、何を話したらいいか困った。
しかし、セッションが始まると、なんとなく「人間関係の悩みから話そう」と思えた。
話しながら、「他人はいないんだ」「あの中には誰もいないし、いま会社の人はここにいないんだ」と気づき、途中で問題が消え去るということが起こった。
「相手は思考の中にしかいないんですよ」と中野さんに言われ、頭の中の問題とずっと格闘していたことに気づいた。
また、「相手にこう思われているに違いない」という自分のジャッジが、自分自身を苦しめているだけで、相手の中はからっぽなんだということに気が付いた。自分がどう振舞おうと、相手は相手の役を忠実に演じるだけ。自分の意志で私のことを好きになったり嫌いになっているわけではない。相手はゲームのNPC(ノンプレイキャラクター)にすぎない。自分が別の場所へ行けば、相手は消える。そのことを尋ねると、中野さんは「そうです。ほんと、その通りです」とほほ笑んでくれた。
「結局五感でとらえられることしか存在しないんですね。前までは、外からバイクの音が聞こえてくると、バイクが家の前を通り過ぎるイメージをしていましたが、最近はその音も内側で鳴っているだけで、実際バイクが走っているわけではないんだと気づきました。外に出てバイクが走っているのを目でとらえていない限り、バイクが走っているという事実はない」と話すと、中野さんは「たとえバイクが実際走っているのを目でとらえたとしても、バイクはそこにありませんよ。目に映るのは光であって、それが網膜に入って物がそこにあるように見えているだけです。映画のスクリーンを眺めているのと同じです。映画をみていて、スクリーンに映し出されているだけなのに、それが本当にそこにあるように見えるでしょう。現実だと思っていることも、それと同じです。」と説明してくれた。
「今度、それを意識して過ごしてみると、大きな気づきがあるかもしれません」
と言われ、中野さんの本にあった「エクササイズ:世界を映画のようにみる」を思い出した。前からそのエクササイズをやってみようと思って、ずっとやらないままでいたので、「今がそのタイミングなんだな」と思った。
その後、自分の症状がよくなったり悪化したりを繰り返している、ということを話してみようと思った。
「覚醒したら病気は治ると思っていたけれど、そうじゃなくて、病気もストーリーの一部でしかないんですね」というと、中野さんから「原因も結果も思考がつくったストーリーですから」と言われ、「病気を治せないのは自分に原因がある」という自分が長年握りしめていた思い込みがこぼれ落ちていく感覚があった。
「ノンデュアリティの良さって、問題解決に焦点を当てていないところですね。今までビリーフチェンジなどのセッションを受けたことあるけれど、結局症状は良くならなかった。それは、問題解決に焦点を当てていたから、つらかったんですね」「ヒーリングを受けたことも学んだこともあるけれど、あれは体を治しているようで、心の思い込みをはがしていく行為ですね」というと「ほんとその通りだと思います」と中野さんがまた補足してくれた。
「体の症状を治しても、思い込みなどが外れないと、別のところで問題がおこる」
「症状のおかげで全体のバランスがとれている。症状も大事。症状が全部引き受けているから、他で問題が起こる」
その言葉をきいて、また、自分がずっと握りしめていた「自分に原因がある」という思い込みが、ぽろぽろ剥がれ落ちていく感覚があった。
「常に最善のことが起きていて、危険や不安は頭の中にしかないんですね」
そういうと、「その通りです」と中野さんはほほ笑んでくれた。
今回、中野さんのセッションを受けて改めて「自分のストーリーを、与えられた役割をしっかり生きよう」と思った。一瞥体験をしても、結局そこに行きつくことがわかり、しかし、一瞥体験をする前よりも心が穏やかである時間が増えた。これがノンデュアリティスピーカーのいう「覚醒体験をした人は前に出てこず、普通の生活をしている。本人の内側は変わっているが、外側から見ると何も変わっていないように見える」ということかと気づいた。
中野さんのセッションを受けた後、ぼーっとしていると「あ、私の中で解放が起こっているのかもしれない」という思いが巡ってきた。
一瞥体験をし、プロセスを進めていく中で、「人に好かれない自分は価値がない」という自分の思い込みをまだ自分が所有している、しがみついていることをまざまざと見せつけられた。
会社の人間関係の悩みや自分の体の症状がよくなったり悪化したりを繰り返すことで、「こんな自分には価値がない」「自分の価値は周囲の評価に左右される」とまだ思い込んでいたことに気づいた。
今回、外側で問題と思っていたことは、自分の内側を反映していたようだ。
その後、「過去にも未来にもとらわれない生き方」を再読。
「あなたが自分だと思っているこの小さな「私」は、実際には自分にとって何が最善のことなのか知らず、まわりの世界に対して非常に小さなコントロールの力しか持ってはいないのです。」
この一文を読んで、「自分は全体の表現にすぎないから、サレンダーするしかないんだな」と安心感に涙が込み上げてきた。
その後、なんとなく禅サンガの雲黒斎さんのYoutubeライブを見てみたら、ちょうど人間関係の悩みについての回で、タイミングが良すぎて笑ってしまった。
「自分に対する他人の評価は、自分の価値を表すものではなく、単に相手の思い込みが表れているだけ」
それを聞いたとき、「自分に最初から何も問題はなかったんだ」「そして、自分が好きだとか嫌いだと思っていた相手も、自分の思考の中にしか存在していなかったんだ」と、自分の思い込みがまた剥がれ落ちた。