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暮らしだよりvol.3 ~高根集落2~

―中尾
今日は、高根の2回目です。
早速ですが、あきちゃん、高根にお嫁に来ようと思ったときに考えたことはどんなことですか?
 
―能登谷愛貴
そうですね。まず前提として、私は都会が嫌いじゃないんです。そして、田舎で暮らしたかったわけでもない。なので、「田舎暮らしにあこがれていたんでしょ」って言われるんですけど、一切そんなことはありませんでした。
 
―中尾
はっきりしていますね(笑)
 
―能登谷愛貴
ただ、聞き書き甲子園で名人と出会って、名人が見ている森の中の世界というものにとても興味が湧いて、共存の森の活動にも参加していて、高根にも通っていて、通うのはすごくいいなと。都会から離れて、自然の中で美味しい空気を吸って、美味しいものを食べて、いろんな人たちと交流して、そういうのってすごく良い息抜きだなと思って通っていたので、暮らす場所という意識は正直なかったです。
 
―中尾
なるほどね。それが、いつから「暮らしても良いかな」にかわるのですか?
 
―能登谷愛貴
今から振り返ってみると、共存の森の活動は団体行動なので、何人もでレンタカーで来て、決められたプログラムを一泊二日とか二泊三日でこなして帰るという活動だったのです。そこから離れて個人で高根を訪れて、高根の日常の中の暮らしを見るようになって道を歩いていると、みんな私のことを知らないはずなのに挨拶をしてくれるし、「ちょっとおいでおいで」と言って、お茶に誘ってくれるおばあちゃんがいたりとか、本当に見ず知らずの私を家族の一員のように招き入れてくれる雰囲気があったんですよ。それにすっごくびっくりして、それと同時に、なんてあったかいんだろうって、なんていうか、安心感みたいなものを感じたんですよ。子供たちもすごく元気に挨拶をしてくれて、そんな子供たちがのびのび遊んでいる様子を見ていると、ああ自分もここでこんなふうに温かい人たちに囲まれて一緒に生きてみたいなあと、自然と思えたんですよね。
 
―中尾
あきちゃんは、東京で生まれ育ったのですか?
 
―能登谷愛貴
神奈川ですね。
 
―中尾
神奈川ではそういった関係性とか雰囲気はなかったですか?
 
―能登谷愛貴
なかったですねえ。
 
―澁澤
ここは3世代、4世代同居というのが当たり前の昔の大家族なんです。だから子供たちも家族だけではなくて、集落みんなで育てようという感覚がまだ残っていますから、その辺は都会とは子供に対する感覚とか、世代をつなぐ感覚がずいぶん違うと思いますね。
 
―中尾
その頃は能登谷君の彼女だよ、あのコは…という噂はもう流れていたのですか?
 
―能登谷創
うーん、それはもうみんなわかっていたんじゃないかな。
 
―澁澤
能登谷君は来なくてもよいけど、あきちゃんは来てほしいとみんな言っていましたね(笑)
 
―中尾
アハハ…(笑)
それで、結婚式の日ですよね。
澁澤さん、お父さん代わりをされたんですよね。
 
―澁澤
そうですねえ、まあ~、きれいでしたよ。
 
―能登谷愛貴
ありがとうございます(笑)
 
―中尾
どこかのお家をお借りするのですか?
 
―能登谷愛貴
そうです。栄作さんのお家を私の実家と見立てて、そこに仲人さんたちがお迎えに来て、儀式を行って、そこから歩いていきます。
 
―中尾
神社に行くの?
 
―能登谷創
集落の公民館ですね。公民館を僕の実家の代わりにして、そこに父親役の澁澤さんがいます。
 
―澁澤
その間ずーっと歌が続くんですよ。
 
―中尾
わかる!長持ち歌ですよね?!
 
―澁澤
一人が終わると次の人が歌って、延々とそのリズムの中で花嫁行列が続いていって、周りもみんな黒山の人だかりですよ。おっちゃんたちは酔っぱらってるわけですよ、うれしくて。この村にこんな良い嫁が来たって言ってね。
 
―中尾
こんなきれいなお嫁さんだもんね。みんなびっくりでしょ。
 
―能登谷創
30年ぶりだったんですよ、この儀式を復活させたのが。
 
―中尾
30年ぶり?!
 
―能登谷愛貴
ホテルだとか、結婚式場とかですることが多くなっていたので、高根の中で結婚式を行う、尚且つ箪笥送りという伝統行事を行ったのは30年ぶりだったんです。
 
―中尾
箪笥送りってどういう行事?
 
―能登谷創
長持ち歌をうたいながら、お嫁さんの家から旦那さんの家まで行列を作って嫁入り道具を運ぶというものです。
 
―澁澤
若い男の子が箪笥を担ぐんですよ。
 
―中尾
良いですね~。どうでした?
 
―能登谷愛貴
いやあ、高根にこんなにたくさん人がいたのかと驚きました。
 
―中尾
そうよね~(笑)、今高根の人口は500人くらい?
 
―能登谷愛貴
そうですね。でも、うわさを聞き付けた、今はもう高根には住んでいない親戚の方とか、近隣の集落の方たちも来てくださって。
 
―中尾
全員が祝ってくれるんだもんね~。うれしいねえ~。
 
―能登谷愛貴
本当に子供からお年寄りまで、たくさんの方たちが祝ってくださって、あれはもう、感動っていう一言で表してよいのかどうかわからないくらい、言葉にできないくらい感謝の気持ちでいっぱいでした。
 
―中尾
どうですか?ここでの暮らしは。
 
―能登谷愛貴
正直、想像を超える快適さです。
 
―中尾
おーっ!例えば?!
 
―能登谷愛貴
例えば…最初に感覚的に覚えた安心感というのが、暮らしてみるとこんなにも日常を豊かにしてくれるのかと、実感してます。
 
―中尾
日常が変わりましたか?
 
―能登谷愛貴
朝7時前に、「おこわつくったよ」って言っておばあちゃんがもってきてくれたりとか。
 
―中尾
すごいね!!
ここへ来て、あー実はこれ一番大事だなって思ったことあります?
 
―能登谷愛貴
私はやはり人の支え合いですかね。
 
―中尾
でも東京では一人で暮らしていましたよね?
 
―能登谷愛貴
一人で生きていけると錯覚してしまう感じがあると思うんですよ。
仕事をしていても、もちろん自分の仕事もあるけれども、替えがきくというか… 高根に暮らしていると、本当に自分を大切にしてくれている、見てくれているというのがすごく伝わってきて、自分がそういう風にしてもらう代わりに、自分も他の人たちにそうしたいなという気持ちに自然とさせてくれるような空気観があると思いますね。
 
―中尾
高根がこれからどういう風になればよいと思いますか?
 
―能登谷愛貴
学生時代に通っていた時は、だんだん集落の人は減っていくだろうし、空き家も増えていくことはわかっている、それなのにどうしてここに暮らしている人たちは危機感を持たないのだろうと思っていたんです。でも、自分が暮らしてみると、とっても安心できて、とっても快適に暮らせるので、その危機感がだんだん薄れていくんですよね。この、高根の人の温かさとか、自然を活かしながら生きていく暮らし方とか、そういうものを小さくても良いから、これから子供たちとか孫とか、世代を超えて伝えていけるような存在に、自分自身もそうですし、高根もそうなっていったら良いなあという風に思います。
 
―中尾
創君はどうですか?
 
―能登谷創
もちろん今の生活がずっと続いていくとは思えないんですよね。
どうしても人口は減っていくし、それによってインフラとか様々難しい問題は増えていくと思いますし。でも減っていくことというのは別に暗くはなくて、それに合わせたやり方をしていって、僕たちのような外から入ってきた人間が外の人たちとのつなぎ役になって、内側がどう外の人とつながっていければ、集落が継続していけるかというのをしっかり考えてやっていけるのであれば良いんじゃないかなと思います。
 
―中尾
子供さんは3歳になった?
彼がここに住みたい、ずっといたいといってくれたらうれしいよね?
 
―能登谷愛貴
それはうれしいですね。
 
―中尾
そんな子に育ってほしいって感じ?
 
―能登谷愛貴
それはどうなるかわからないですね。
 
―能登谷創
一度他所を見てくるのは大事なんじゃないかな。
 
―中尾
外に出るのは大事ですね。でも、高根の人たち、一回出て帰ってきている人、たくさんいますよね。
 
―能登谷愛貴
そうですね。たくさんいますね。
 
―澁澤
朝7時前にこんなものができたよと届けてくれることとか、家の前に野菜を置いといてくれるとか、それをたぶん東京にいる人の8割以上は煩わしいと思うんですよね。だけどそれを有難いと思えるというのは、それは個人がどう思うかだけの違いなんですよ。それによって幸せになってみたり、一方はストレスを感じて煩わしいと思ったりしますけど、今の私たちは両方を選べるんですよ。だけど、東京に住んでいる人間の多くは、自分は今ここからは逃げられないんだという前提のもとに自分の人生を考えている。その不自由さだけは何とか変えた方が良いし、これからは人の関係というものに喜びを感じる世界を作って行かないと、東京でそれを全部お金で得ようとすると、またもっともっと働かなければいけない。もっと働いても、またもっと欲しいものが出てくるという悪循環に入っていきそうな、今はそんな境目の時期なのかなという感じがしています。次の時代の一つの生き方の形を彼らがつくっているのだと思います。


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