生きていく勘
―中尾
先週は岡山の真庭に行かれていましたけど、今年も真庭なりわい塾が始まったのですか?
―澁澤
なりわい塾の現地説明会でした。とにかく山が一番良いシーズンで気持ちよかったですよ。
―中尾
そうですねー。良いお天気でしたものね。
―澁澤
なりわい塾って毎年真庭の北の方、つまり鳥取県境の場所と、それから南の端の場所とで交互に現地説明会を行うのですが、今年は北の端の方で実施しました。
南側はどちらかというと、まさに農耕地帯なのです。土地も良く肥えていて空が広いので、日照時間が長くて、作物の出来も良いのです。
今回の北の方は蒜山高原に接している場所で、そのふもとに広がっている火山灰を中心とした高原地帯です。裏日本側の気候で、今年はとっても雪が多かった。雪が多いということは水がとても多いということです。その雪が解けて水が流れ出して、山が一斉に動き出して、本当に一面緑なのですが、一本一本の木が微妙に緑の色が違うのです。
―中尾
あーわかります。緑の色って本当にたくさんありますよね。
―澁澤
そうなんです。本当にパッチワークみたいっていうのかなぁ、柔らか~い緑色なのです。かつてはその辺に製鉄の技術を持った、それこそ縄文時代から鉄器を使っていたといわれている人たちがいたところで、宮崎駿さんの「もののけ姫」の舞台になったとも言われている場所です。タタラをつくるために使われていた山なものですから、一面広葉樹の山なんです。その広葉樹の春の芽吹きというのはきれいですよね。
―中尾
きれいですね~。
―澁澤
林床と言われている森の下には、山菜が一斉に出てくるんですよ。もう5月ですからコゴミは終わっていました。ワラビはこれから6月くらいまでとれるかな。今一番盛んなのは筍です。根曲がりだけ。根曲がりだけは、ちょっと笹藪に入れば籠いっぱい採ってこれるのです。それをオーブンで焼いて、それで延々酒を飲むという、そんなに太るものは食べてこなかったはずなんですけど…丸くなって帰ってきました。
―中尾
ちょっと成長されましたよね(笑)
あの、真庭なりわい塾の話なんですけど…
―澁澤
あ、そうです。結局ね、北と南の一番の違いは、南は農耕の技術を持っていると豊かに暮らせる地域。北は縄文に近くて、採集だとか狩猟の技術を持っていると豊かに暮らせる地域なのです。
―中尾
両方あるのですね。
―澁澤
若い夫婦がいましてね、東京から2~3年前かな、移住してきたでのす。「ここに住みたいと思ってきました。もう東京は嫌です」って言って移住してきたのですけど、「職業は何をやっていたの?」って聞いたら、奥さんは田園調布の奥様相手にテニスのインストラクターをやっていて、ご主人はテニスラケットのガット張りをやっていたというんです。ガット張りってわかります?
―中尾
わかりますよ。ラケットの糸を張る仕事ですよね。
―澁澤
そうです。
「すまないけどさぁ、ここでテニスやる人誰もおらんわ」という話になって、農業もやったことがなくて、何やるの?って、言ったの。
―中尾
おいくつくらいですか?子供さんはいらっしゃるのですか?
―澁澤
旦那が30代後半、奥さんは30代前半、子供はまだいなかった。
そしたらね、とにかく生きてくってことやりたいのです。って言うの。「自分で作ったものを食べたこともないし、自分で採ったこともないし、全部お金で買ったものしか、しかも誰がつくったのか、誰がとったかわからないものしか食べたことがないって気持ち悪くて仕方がない。こんな人生を送っていたら自分たちだめになっちゃうねって二人で言って、とりあえず、自分で採ってこよう!と言ってきました。」というわけです。
―中尾
へえ~。
―澁澤
地元の人たちはね、呆然としたわけです。若い二人がね、過疎の村に移住してくれるから地元はもろ手を挙げて歓迎なんだけど、さあ、このテニスのインストラクターとガット張りをどうやって食わしていくか…って、尚且つ言ってることは夢物語みたいに「採りたい!」って言ってる。とりあえず、一人猟師のおっちゃんがいるから、獲物を捕るってどういうことか、ついていってみたらどうだと言ったら、ついていったんです。
で、帰ってきておっちゃんが言うには、旦那の方はダメだけど、奥さんは筋いいわ!っていうわけです。彼女は猟師で食ってける!って。
―中尾
えー――っ!
―澁澤
奥さん、舞い上がりますよね。そのうち罠の免許を取って、今は鉄砲の免許を取って、もう真庭の狩人ですよ。
―中尾
その方たちがお見えになった時は3年前ですよね。なりわい塾はもうありましたっけ?
―澁澤
ちょうど始まったばかりだったので、最初は何回か参加していましたけど、それよりも暮らしの方が忙しくなって、どちらかというと講師というか、地元にこんな若者が入ってきて、こんな子でも生きていけますよというお話し手として参加してもらいました。
―中尾
なーるほど、一番いい見本ですね。
―澁澤
次は旦那はどうしようかってことになって、今度は自然農をやっている変わったおっちゃんがいるから行ってみろと言ったら、そこでも「旦那、筋いいわ」ってことになって、旦那は農業に向いていたのです。
―中尾
うわあ、完璧ですね。
―澁澤
自然栽培って肥料も農薬を一切やらない、僕たち農業をやる人間から言うとものすごく難しいの。なおかつそれは自給用ではなくて、売り物をつくらなければいけないという農業に行って、筋いいって惚れこまれて、俺の後を継がせてやるから一緒にやろうって。
―中尾
凄い!!
―澁澤
それでちゃんと食っているのですよ。それで、田舎にとじこもっているかというとそうではなくて、この間プラッと世田谷の結構有名なイタリアンレストランに行ったら、ジビエ料理を出してますという看板が出ていて、特別メニューとか書いてあって、そいつがいるんですよ。
―中尾
何してるの?
―澁澤
だって考えてみたら、もともとお客さんが有名店のオーナーだとか、その奥さんだとか、田園調布の周りで住んでいるような人たちでいくつもレストラン経営してますという人たちがいるわけですよ。
―中尾
その人たちに私が獲った動物送りますと。(笑)
―澁澤
そう、売りに来て、営業と言って東京ライフも楽しんでいるの。
普段は野山を走って鉄砲もって、旦那は農業やって。
―中尾
素敵!!
カントリージェントルマンですね。
―澁澤
その縄文エリアってちょっとそういうことができるんです。
要するに、自然とすぐに一体になれちゃう子っていうのがいて、前職はシステムエンジニアやっていましたとか、全然ちがう職業でも明日からパッと自然の中に入っちゃう、そういうことができる子たちっているんです。
そういう子たちには縄文的な暮らしの方が入りやすいですね。
―中尾
はあ~、頼もしいですね。
―澁澤
昔はね、職業が見つかってから移住してきました。ですけど、今はね、僕たちからは想像できないけど、やめてきましたって子が圧倒的に多いです。
―中尾
カッコイイですね。でも、そういう人たちは覚悟が決まっているのでしょうね。
―澁澤
つくづく真庭の山の中で思ったことは、これから都会は食っていけるのだろうかという不安です。当たり前のように、いかに食料品を海外に依存してきたかということです。入ってこなくなるということはないでしょう。だけど明らかに高くなって、今までのように、僕たちが勝手に選んで、今日は中華にする、明日はイタリアンにするとおなかの具合で食を選べるという時代ではなくなってきた時に、彼らのように生きていくことが最優先、という感覚が良かったんですよ。猟師の感覚とか、農家の感覚という話をしましたけど、そうではなくて、生きていくということに関する勘が良いのですよ。
―中尾
なるほど。一番大事なところですね。
―澁澤
しかも彼らだけではないのです。
去年まで横浜市役所に勤めていたという夫婦も入ってきて、これも農家をやって、農家レストランをやっています。
―中尾
今、岡山が一番安全だと言われていますよね。
―澁澤
そうですね。地理学的にはね。
東京の有名なうなぎ屋さんも、これ以上稼いでもしょうがないからと言って店を閉めて、仲間に入ってきています。それから蕎麦屋さんも入ってきています。
―中尾
そういう新しい人たちがどんどん増えてきて、その人たちがちゃんと暮らせていると、はじめての人でも入りやすいですね。
―澁澤
ある程度、都会でお客とか、人間的なネットワークを持っている人たちは、例えばうなぎ屋にしても蕎麦屋にしてもパン屋にしても、田舎で作って、宅配便とかでいくらでも送れるんですよ。パッケージや輸送手段がとても良くなりましたからね。
―中尾
冷凍も良くなりましたしね。たのしみですね、これから。
―澁澤
これからは今までのような基準、給料をどうしていくか、どう稼ぐかではなくて、生きていくという感覚が鋭いか鋭くないかで、新しい生き方を見つけていくという時代に入っていくのかなという感じがしました。
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