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気味の悪い雰囲気、不気味な足音

 このところ、不気味な雰囲気が世界を覆っているような気がする。具体的な現象がものすごく怖い!っていうこともいくつも起きているが、それ以上に、雰囲気です。空気と言ってもいいかもしれない。なんといえばいいのかよくわからないけど、気味の悪い感じがクる。なんでしょうね。個人的にもそうだけど、日本の世間にも、世界の様子にもある気がする。

 ”空気を読む”、っていう時の空気なんだけど、端的には政治の世界、自分の所属グループ、団体のボスに気に入られるためには、なんでもする、どんな汚いことでも、いじましいことでも平気って感じの人がものすごく増えている気がしませんか?彼ら、彼女らも、”空気を読んで”いるからこそ、そういう行動をなんのためらいもなくできてしまうのでしょうかね?

 例えば、伊藤詩織さんの件。まだ、どっちがどうと公には判定されていないわけですが、昔は、無関係な人は関わらないのが普通だったように思います。もちろん、ある種の団体は、意図的に関わるわけですが、かなり動きはアンダーフラウンドなものだったと思うのです。れっきととした現職の国会議員さんが、それも、女性なのに、同性を貶めるようなことを平気でいう、これは、そう思っていても、昭和くらいなら、お調子者はともかく、普通は黙っている人が多かった気がします。これはドイツなどでは、かなり不思議に思われるのですが、日本では、女性が性犯罪にあった可能性が高い場合、女性の方から、被害者の可能性が高い女性を貶めるようなことをいう人が出てくる。これ、割と日本に特徴的なことなんです。ドイツやイギリスでは聞いたことがないと言われます。まあ、そのことは割り引いても、思慮が足りない感じがしますね。無関係な人は、黙っているのが、表の世界のそれなりの地位にある人の”礼儀”というか、”嗜み”ではなかったのか?と思います。(無関係者であればあるほど、何を思って、どう感じるかは、自由度があるわけですが、黙っているのが当たり前です。)結局、発言者も、事件そのものには、本当は、なんの興味もなく、実際、何があって、どれが真実かにも全く、興味がなく、自分が属している団体の親分の顔だけ見ているんだと思います。こういえば、親分が喜ぶかな?だけが、判断基準なんでしょうね。浅くて、笑っちゃうとすらいえない、もう、私は、関係ないので、黙ります。

 他にも、ツイッターを使った 「#〇〇〇〇に反対します」的なやつ。個人を誹謗中傷するのは論外ですが、政策、法案っていうのは、関係団体と利害関係者が何年もかけて、折衝、陳情、その他を繰り返し、なんとか国会にあげたものです(例えば、今春の”種苗法改正”は、農協関係の若手を中心に、10年オーダーの年月をかけて、知恵を絞ったものと聞いています。日本人は、農業だけでなく、製造業なんかでも、地が真面目なので、品種改良したタネや苗、その他栽培法も、コツコツと改良を重ね、美味しい作物を頑張って作るわけですが、根こそぎ持って行く人たち(主に、外国人です)がいるそうです。それを取り締まるのが本意だそうです)。それを無関係者とまでは言わないまでも、具体的になぜ、それが問題とされ、どういう経緯で、そのような政策・法案を改革したいか?など、御構い無しに、とにかく、安易にツイートしてしまう。政治は、皆のものですから、よく知らないことに口出ししてもいいとは思いますが、流石に、このような法案は何かあるんじゃないか?って慎重になる方が、少なくとも、昔は普通だったように思います。これも、そうしておくと、自分の何か、自分の関係団体のボスに気に入られるんじゃないか?しか考えてないからじゃないでしょうか?今の多数決による、間接制民主的な手続きは、確かに、まどろっこしいものですが、人口規模や様々な要因から、このやり方が、とりあえず、ベストではなくても、マッチベターだと納得し、みんなしたがってきたわけです。権力者の行為は、常に、チェックするのは当然ですが、民主主義を根本から否定するなら、それはファシズムへの道だと思いますよ。確かに、私も、矛盾したことを言っているのかも知れません。間接制民主主義だからこそ、組織を大切にして、組織の決定を支持し、それを広める行為をとってどこが悪い!?って、言われたこともあります。大枠では、全く異論はないです。総論賛成ですが、そのような集団の力を行使する意図があるなら、しかし、なおさら、個々のケースは、内容をキチンと吟味し、まず、内部で十分、議論尽くしてほしいものです。内部での手続きがやっつけなのに、上だけ見て従う人が増えると、それはもう、ヒットラー・ユーゲントが再来してしまう感じがしませんか?私だけでしょうか?

 不況が長引き、社会全体の余裕がなくなっているからでしょうか?短絡的な衆愚的で安易な動きが、様々なレベルのグループや集団から起きており、SNSなどによって、加速してるなぁ、って感じています。トランプ大統領は、ある意味、このような不気味な雰囲気の象徴的な存在だと思っています。

We make America great again!

なるスローガンだけ、大声で繰り返し、やることが支離滅裂でも、上だけ見て、したがってしまう人が増えているんですよね。だから、4年も大統領をお勤めになられた。(と言って、議論中に、寝てしまっていたかのように見えたシーンのあるバイデンさんも如何なものか?って感じを全身から、オーラのように発されているわけですが・・・・・・・・。)

 何か、不気味な雰囲気が世界を覆っているような気がしています。このまま、もっと最悪な状況に突撃していかないよう、本当は、みんなで知恵を出し合わないといけない気がします。

 反面教師として、あえて、参考に

あげてみます。怖い雰囲気に流されないで生きましょう。

伊坂幸太郎さんのこれは、何気ない日常から安易に発せられる言葉の危うさを文学として表現されています。面白い:

で、最後はお馴染みかも?佐藤先生のものです。私、彼のシンパではないけど、この点については、同様の危惧は感じています:


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