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古代の”日本列島で暮らしていた”人たちは誰???
「姫は、古代の社会も見てきたんですよね!?」
「あの頃のことはあんまりハッキリとは覚えておらんことも多いんじゃけどな、その後の8世紀から9世紀、王朝の頃の生活が楽しすぎてなぁ・・・」
「それは、端くれとはいえ、貴族にお生まれになったからですよ。」
「そうじゃなあ、日本には、様々な王朝文学が残っておるが、ちょっと雛に行けば、みんな古代と変わらぬ縦穴だの、横穴だの、洞窟みたいなとこに住んでおったんじゃよな。」
「古代とほとんど変わらない!?」
「変わらぬな・・・。あ、古代そのものが、何段階もあるけどな!」
「一般には、狩猟採集で、のんびり縄文人が暮らしていたところ、紀元前300年くらいに、強力な武力を持った弥生文化の担い手となる大陸人が、玄界灘をこえて、多数、渡来し、原住民を支配して、稲作を広め、それがさらに、支配階級を作り上げ、強化していった、なんてのが、従来の古代史観でしたよね。」
「ふふふ、妾の見てきた歴史とは、かなり違うが、な。しかし、そう信じるにはそれだけの歴史もあったなあ。」
「実際は、最近の考古学的な発見でも、稲作は、紀元前1000年には日本列島にあったようですよね。それも、結構、システマティックに!とはいえ、焼畑段階で、主に、陸稲。灌漑はなく、環濠集落もまだ、出来てはいなかったらしいと。」
「いや、稲作の灌漑化は、北部九州が早く、早良平野では、紀元前10世紀には、『有田七田前』遺跡なんかにも残っているが、すでに、下流域の低湿地に灌漑を用いた水田跡がある。同時に、ここでは、韓半島、特に南部と共通の土器や磨製石器が出土している。同時に、上流域には、焼畑的な陸稲栽培を行いながら、多分、採集・狩猟も行って生活していたような”園耕民”と呼ばれている人たちの遺跡もある。」
「従来の縄文人も、焼畑程度の農耕はしていたが、新たに少数の渡来人がきて、下流域で、進んだ農耕を始めた、というかんじですかね?」
「そうじゃな。灌漑を用いた新たな農耕をする渡来系の集団は、目を引いたもんじゃろうな。」
「で、割と平和裡に、混合して行くというのが最近の説ですか?」
「そう、それも、かなりゆっくりとな。紀元前8世紀には、有名な『板付』遺跡あたりに、すでに、環濠集落ができていて、初期的な階級も生まれつつあったらしいと言われているよ。まあ、そうじゃろう。」
「ちょっと待ってくださいよ、鉄器が韓半島、日本列島、特に、北部九州に伝わったのは、紀元前400年以降ですよね。」
「そうじゃよ、だから、大陸から、強大な武力集団がやってきて、縄文人を征服した上で、階級社会を押し付けつつ、弥生式の文化を作っていったというのは、もう、幻想であったことが証明されたようじゃな。その通りじゃ。」
「灌漑を伴う水田耕作は、やはり大人数必要だし、焼畑民から見れば、どうも、奴らは俺たちよりいいものを食ってやがるって見えるので、代表者が話し合い、ゆっくりと融合しつつ、少しづつ、その文化は、東へ伝播していったというのが、最近の古代史観のようですね。」
「他にも、遺跡的な、考古学的な証拠はいくつもあるし、その上、年代を細かく測定できる、炭素14(炭素12の放射性同位元素の半減期を用いる)較正年代測定法の確立も大きいな。」
「鉄器が伝わった頃には、すでに、結構な水田耕作集落は、少なくとも西日本の各地には大量にあったというわけですね。」
「北日本でも、『三内丸山』(青森県)など、縄文時代の景色が一変するような発掘はいっぱいあるよな。」
「そもそも、日本人と呼ばれることになる人たちは、玄関は、玄界灘だけで、そこから、南と東、そして、北へ散らばっていったという古代史観そのものが古びてきている。」
「DNAハプロを用いた分子人類学の発展が大きいですね。」
「DNAハプロタイプっていうのは、いくつか知られているんじゃが、
母のみから遺伝:ミトコンドリアハプロ
父のみから遺伝:y染色体ハプロ
あたりが有名じゃな、二つ合わせる事で、複合的に、様々な人類の移動の形跡が明らかになる。」
「とにかく、DNAレベルでの発見も、考古学や歴史学の史実を裏付けたり、新たな視点を与えられるということが21世紀に入ってから、かなり広範に認められるようになってきたわけですね。」
「そうじゃな、そういった研究自体は、1970年代からあったんじゃが、な・・・。まあ、いいじゃろ、詳しいことに興味を持ったら、文末の参考文献や、さらにそこに引用されている原論文などを見て欲しい。」
「最初のインパクトは、2000年に発表されたミトコンドリアDNAの全塩基配列の決定による人類の系統解析の研究ですよね。」
「そうじゃな、その研究により、人類は、4系統あり、そのうちの3つはアフリカから出ておらぬし、出アフリカした残りの1系統も、かなりの少人数が数回に分けて、飛び出てきただけと解ったことだ!」
「白人、黒人、黄色人種って分類と相関があるんでしょうか?」
「ほぼ全く関係ないとわかった。みんな、ほとんど一緒なんじゃよな。上の意味で、は、ということは科学的に、みな、ほとんど一緒、肌の色は、どっかでたまたま違ってしまっただけなんじゃよ。」
「ヨーロッパから、ユーラシア、アメリカやオーストラリアといったところの人たちは、根本的な遺伝的多様性はそんなにないんですね。」
「比較の問題じゃが、現在、アフリカに暮らしている様々なアフリカ人の多様性に比べれば、貧弱なんじゃな!肌の色だけなら、ほぼ皆黒いアフリカ人が、DNAレベルでの多様性は一番なんじゃ!」
「不思議ですね。」
「不思議じゃな。」
「詳しい話は、後にあげる参考文献を見て欲しいが、縄文人というのも、単一ではないんじゃよな。」
「何回も来ているんですか?」
「日本列島に!という意味でもそうじゃが、出アフリカした1系統の人たち自身も、何回か、出て来ている。」
「ふむ、まず、ミトコンドリアハプロ(母系)からは、どんなことがわかりますか?」
「東アジアに到達したグループだけに集中するとな、
グループP,Q (第一出アフリカグループ)
このグループは、東アジアといっても、北の方には来ていない。7万年ほど前の話でな、この頃には、東南アジアとユーラシア、オーストラリアをつなぐ大陸:スンダランドというのがあって、彼らは、東南アジアから、オーストラリアに向かったらしいなぁ」
「オーストラリアのアボリジニって、起源が古いんですねぇ・・・。」
「DNAハプロから、そのことは証明されている。ニュージーランドのマオリなどもそじゃよ。」
「で、東アジア人は?」
「まあ、慌てるな、P, Qとは、別のハプロタイプの
グループM, N
は、バイカル湖畔に到達する北行きグループと中国南部にきた南行きグループに別れていたようじゃな、ただし、現在、その辺りにいる人たちは、このMとNが混在していて、かなり広範に混血したらしい。」
「これらは、祖型が同じで、一旦別れた後に、もう一度、混血したんですね。」
「数万年に一度、という変化を見るのがハプロじゃからな、そういうこともありうる。」
「で、縄文人は、どれなんですか?」
「どれというか、縄文人も、非常にたくさんの人々の寄せ集めなんじゃよな。日本列島、最後に行き着いた場所、って感じじゃな。」
「争いに敗れるとか、村に居づらくなった小集団とか、何度も来ていそうですしね。」
「まあ、大きな流れとしては、現代日本人の、ミトコンドリアハプロは、韓半島や中国人とよく似ているグループが大きく存在していることは事実じゃ!」
「それだけなんですか?」
「いや、ここが面白いところの一つじゃが、韓半島や中国中原地方には全く存在しないグループもかなりの割合、存在していることがわかっている。グループとしては、
M7a:沖縄と関東、東北、北海道
N9b:北海道、東北
などじゃな。」
「これらが、縄文人の末裔と予想されるわけですね。」
「かなりの確度で、そうじゃろうな!」
「しかし、北部九州にある、韓半島型の支石墓には、縄文人型の人骨も見つかっていますよね。」
「そうなんじゃよ、これも、縄文から弥生への移行が、平和裡に行われたことの傍証に、返って、なっているんじゃ!」
「あ、なるほど・・・。言われてみれば、そうか?」
「縄文人が野蛮な被征服民なら、韓半島型の支石墓に埋葬されているのはおかしいじゃろ?」
「で、なら、母型のミトコンドリアハプロで十分、面白いですよね。」
「ところがな、y染色体ハプロの分布はまた、違った面白さがあるんじゃよ。」
「父型は確かに、特に、武力侵略が大規模にあれば、元の原住民はほぼ、消滅し、侵略民のものたちだけが残りますね。」
「今回の話と直接関係ないが、インカなどの、アメリカ大陸に元々居た人たちの末裔の方々を調べた結果をみると、スペインの侵略はかなりえエゲツなかったことがわかるんじゃな。」
「はあ・・・。」
「彼らのミトコンドリアハプロ(母系)は、元々の原住民のものが大半なのに、y染色体ハプロ(父系)は、ほぼ全て、スペイン系のものに置き換わっている。」
「うわぁ。これはあんまり公表して欲しくない事実でしょうね、今となっては。」
「要するに、侵略者集団は、ほぼ、男性だけの集団で、被征服者の男をほぼ、殺戮するか、奴隷として子孫を残せない状況に追いやり、原住民の女性を侵略者で分け取りにして、子孫を残したってことじゃな。多分、ほとんどが無理やりじゃなぁ・・・。ごく少数の平和裡な通婚もあったかもしれんが・・・。」
「むう、歴史の検証は、酷いことも明らかにしますね。日本の縄文ー弥生以降は、こんなことからみるとかなり平和裡であったと、なんか少し、安心しますね。」
「インカは、ヨーロッパ人も、随分、やられた後で起こっていることだからな、と言って、インカ人は、平和に暮らして居たわけじゃけど・・・。まあ、それはともかく、日本人の源流の話に戻ろう。」
「はい。」
「y染色体ハプロでは、日本人は、
C:東アジア、オセアニア、シベリア、南北アメリカ
O:日本人男性の半数で、さらに、
O2b:韓半島、華北、
O3:華南
D:これは日本人男性の35%程度を占めて居て、日本のほか、チベット、アンダマン諸島あたりのみに局在
みたいな感じなんじゃよなぁ・・・。」
「Dグループが不思議ですね。」
「何れにしても、日本列島は、DNAレベルで見ると、近隣の大陸諸国に比べて、人種のるつぼと言っていいくらい、多様性があるんじゃよな。」
「それも、北側経由できている人が多いんですね、参考文献を見て見ると。」
「そうじゃな、大陸と樺太、北海道が陸続きだった時代だろうけれども、随分と北からきている。」
「C系は、旧石器時代、D系は、新石器時代、O系は、弥生時代以降、という感じですね。」
「玄界灘は、大切な玄関口ではあったが、長江流域から、沖縄や南西諸島沿い、とか、むしろ、北海道、東北からきて、定住した人たちも多く、その痕跡は猛烈に残っておる。大陸や韓半島にはない父系のハプロタイプが、35%などという頻度で見つかっているからな。」
「韓半島に全く見つからないy染色体ハプログループが、35%も残っているというのは、先の、スペイン、ポルトガルの侵略の結果と比較しても、縄文ー弥生の移行が、かなり平和で、友好的だったことの傍証になる。」
「考古学の遺跡発掘とも、符合しているんですね。」
「そじゃな!」
「この国は、古来から、合議制で、大統領のような独裁者を、ほとんど許さない習慣がありますが、それは、何万年もの歴史的な知恵かもしれないんですねぇ・・・。」
「そうかもな、古くは、倭の五王の”武”(武烈帝か?)とか、天武帝の専制、のちには、後醍醐天皇の天皇親政など、いくつか例があるが、全て、短期で潰されている。」
「現代でも、首相は、痛々しいほど、様々な勢力に気を使って、なんとかバランスとってやって居ますよね。」
「ふふふ、それが、ベストではなくても、マッチベターだという歴史を踏んできたんじゃろうなぁ・・・。」
「この分野は、今でも、どんどん、進歩して居ますね。」
「そうじゃよ、科学的な証拠から、合理的に”人種”などの違いも理解され、無駄で不合理な差別など早くなくなっていくのが、科学的に合理的な態度というものじゃと思うがな。」
「そうですね。」
「日本人は、単一文化、単一民族などとよく言われるが、そんなことは全くの空想の産物なんじゃ!」
「単一民族なら、こんな風に、各勢力の代表者が合議制で何かを決めるというような習慣が必要ないですからね。」
「まあ、そういう風俗からも、予想されるけど、DNAハプロ研究は、科学的な裏付けを与えてもいるわけじゃな。」
「ただ、数万年という時間が流れて、見た目、あんまり違いがない人たちのように見えてしまっているだけ、ということでしょうか?」
「そうじゃな、そういう観点もある。ま、今日は、5000字、超えて、疲れた!もう、寝るっぞ!www」
「あ、モーゼの映画見ましょう。旧約の出アフリカ記を題材に、クライマックスは、モーゼの海割りですよ!」
「あー、そういうの、気分えーなー!wwwwwwww」
「そうでしょ、ネットフリックスにありますよ。ほら。」
「ああ、のんびりしよう。ワインにチーズがあったよな。」
「コロナ前に、フランスで買ったやつ、まだ残ってます。」
「うむ、良きにはからえよ。」