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空を飛びたがる話

「ズタボロです」
「生きるのに向いてない説?」
「現代社会で生きるのに向いてない説」

最初にこれだけ言っておきます。
「君たちはどう生きるか」は、みてません。

ジブリ作品の半分以上は私がなんとなく考えることをを最強に美しく表現してるというか、言いたいことを圧倒的上位互換で言われてしまう感じがします。だから私はある意味ジブリが怖い。ナウシカ漫画版とかもうこれ有るなら私いらなくねレベルだったので…だから所謂ファンではないです。ただ、好きだし、悪口は聞きたくないです。

で、空の話なんですが、「何故ホモサピは空を飛ぼうと思ったのか」っていうのは結構私にとって好きな問いでして、それは手塚先生の鳥人体系の影響があるんだと思うんですが、

空を飛ぶっていうのは自由の象徴でもあるのが面白いなって思うわけです。

かのダイダロス・イカロス飛行とか、完顔阿骨打が金を建国するときに海東青(鷹の種名)の自由さを引いた故事とか、BlueBIrdの歌詞とかが思い出されるんですが、実はエンデも「鏡の中の鏡ー迷宮」でこの飛行という名の自由(私の解釈において)について触れてたりします。

で、この場合の自由って恐らく「みずからによる」の方で「おのずからによる」じゃないんですよね。重力の自然法則をぶちぎって自分の生きたい方へ行くわけですから。

つまり飛行はエゴの象徴とみることもできるわけです。

私はエゴという言葉に価値判断入れてません。純粋な自己の為の行い、みたいなニュアンスです。(ジャンプの主人公が夢を語るシーンが近いかな?)

ただまあ、「空気抵抗が邪魔だから空気を無くしたら揚力が亡くなって墜落」とかいうケース(ナウシカの逆。「目がー」とか?)につながるわけで、そこは自分自身の非完結性みたいなのを認識する必要はあるでしょうが。ジャンプ勢はそこ凄くうまくやってるな~といつも思いますね。

風を全身で感じるグライダーとかスカイダイビングとかはやってみたい気はしてますが、そもそも私は高所恐怖症なので飛行機よりむしろ船の方が好きです。
フィオはああいってたし、飛ばない話で私が知ってるのはポニョくらいなのでなかなかそれでいいのか感はあるんですが、「腰ぬけ愛国談義」読んでて宮崎さんもしかして船派じゃ?とか思ったりしたので、自己弁護の代わりに貼っておきます。是非一読して検証してください。


「エコロジカルメンシェヴィズムなついな」
「蛞蝓に負けたくはないので…」
「蜈蚣には負けるけどな」

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木辻明文
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