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赤の女王を揺さぶる話

「年バレしましたかねぇ」
「しても問題ないと思うがな…というかnote内にも結構団体としてかかわる可能性の高い人おるし、別に隠さんでもよくない?」
「まあ、そうですね。」

昨日ショーペンハウアーの「性愛の形而上学」を読んで、かなり久しぶりに「哲学書でわらう」経験をしました。

(細かくチェックはしてませんが恐らくこちらで問題なく読めます)

私はマガジンの説明にあんなこと書いてますけど専門家でも何でもないので不遜を通り越して随分と罰当たりなことになるわけですが、ショーペンハウアーのイメージが講談社様の漫画になってしまっている身としては、「あのご老体ならさもありなん…」的な気持ちになってしまったのです。

それはそれとして、彼の主張には共感することも結構多かったのですが、個人的に好きになれなかったのが性の問題を「種」に還元する、ダーウィニズム的ととれる思考です。

私はダーウィニズムを否定する気はミリもないですが、男女がお互いを好き合うのは互いが進化上最も有利な相手であることのみで説明されるというのは言い過ぎじゃね?と思うわけです。

進化学上有利な属性が好まれるとか、ある程度の傾向が成立するのは当然だと思います。問題は、運命的出会い=一目惚れすらそれに還元されていることで、霊長類進化学的に人間がもとから一夫一妻でないこと(オスの方が体が大きく、オスのほうが生まれる数が多い=オス同士で争い勝者が複数のメスを独占する形態に合致)とどう折り合いがつくのかわからないわけです。

それに、今の社会において、人間が自ら構築した諸システムに縛られて生きる中において、男女の出会いが生物学に還元されるのよりかは、心理学に還元する方がまだ納得がいく、と思いました。

(恋愛工学って要は心理学ですよね?違う?)
まあ、証明云々に関しては理系がいろいろやっているみたいなので私が論じるまでもないんでしょうが、私的には「恋の発生は究極的にはシュレーディンガーの猫レベルに確率的であり、様々な条件によって確立が変動するとしても決して100%となることはない」と思ってます。

性と進化について考えるとき私が最初に読んだのがこの本なので、表題が鏡の国のアリスになってます。
今だとこれが気にってます。

「数学やれよ」
「ドジソン先生ならそうおっしゃいますがね、私はあの方みたいなロリコンではないので浜村渚なんて知らないんですよ」
「微積分がわからないと田辺先生の言いたいことがわからないままだぞい」

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