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天才を演じる話

「ネタがどんどん枯れていく」
「それでいいのだ」
「さいですか」

私はダリの変人性にこの地球に存在する最も強い言葉で敬意を表します。
あとニコラ・テスラも好きです。

私は集団生活というものの本当に最初の方から自分が人と違う存在な感じを持っていた気がします。

ただまあ、そのころはせいぜい外遊びが嫌いでひたすら本を読む存在だったってくらいなので、余りにも自意識過剰というか、社会全体で見たら同じような人はごまんといたでしょう。

私がおかしくなりだしたのは恐らくは中学受験のストレスのせいじゃないかなと、ずっと思っています。そのころから独り言が異常に長くなるしキレ症をこじらせて人を噛むようになるし奇抜なことをして注意を引こうとするし・・・・・・ってなりだしたのだと。
ガチの天才・秀才に囲まれた環境で頭いいキャラとしての自分を守るための行動だったのでしょうか。

でも中学受験したこと(させられたこと)を後悔してはいません。受験中の小学校生活も、入った中高での生活も間違いなく楽しいものでしたから。(ただ未だに中学受験というシステムに生理的嫌悪を感じてはいます。)

それはともかく。私は変人になりました。

私はスクールカーストというものは未だに二次元の存在だと思っています。
六年間帰宅部で習い事もほぼなく、ただただ中二病の故に図書館にこもってロシア文学に手を出す存在にカーストなぞあっても見えないのでしょう。

そして私はいつしか、「私以上の変人と会いたい」と思うようになり、ストレスで御主神様の原形を見たりしながら大学受験にいそしみました。

そして、いま、大学に大して変人はいないこと、変人だからと言って私みたいであるとは限らないことなどを知り、打ちひしがれています。

もう私の変人としての面は献血と海岸清掃と御主神様に単純化されてしまって、天才性なんて何も残らないのかもしれない。

サーカスとか人形遣いとかに関してはエンデ先生が好んで用いられたモチーフなのでまたしっかり語ってみたいところです。

今回の所はこちらを上げておきましょうか。

兵庫県民として常々尊敬いたし申し上げている河合隼雄先生の紹介で知った作品です。

この物語があるうちは絶望しても死ぬ気にはなれないのでありがたい。

「ついに出てきたか・・・・・・」
「第六猟兵で自尊心ボロボロにされたのであんまり積極的に出す気はないですけどね」
「それは逆恨みだこのドケチフリーライダー」

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