【ネタバレ】“復讐したくない”は許されない:『ラストオブアス パート2』感想
※結末を含むストーリーについて書いているため、内容には多くのネタバレを含みます。知りたくない人はお読みにならないで下さい。
※これは私の感想であり、ゲームの評論ではありません。「ラストオブアス パート2」を遊んだ人の、どんな意見も否定するものではありません。
エリーと感情がシンクロした瞬間
「ラストオブアス パート2」を遊んでいて、エリーと感情がシンクロしたと思った瞬間があった。
それはストーリーの最終盤、エリーがアビーを水に沈めて殺そうとする場面だ。私はアビーの首をしめながら、ずっと◻︎ボタンを連打していた。
この場面はカットシーンだ。だからボタン入力しなくていい。でも私はそれに気づかずに、ずっと連打していた。
すごく肩に力が入っていた。
でも心の中では「こんな事したくないんだけどなぁ」と。アビーが好きだし。登場人物の中で1番感情移入ができた。そのキャラの首を締める。水の中に沈める。やりたくないんだけど、やらなきゃいけない。(ゲームを)終わらせるために。
アビーの抵抗が弱まる。
あぁ死んだかな……。
ひどい結末だ。
そう思った時。
エリーにフラッシュバックが起こる。ジョエルの映像が突然カットインする。ギターを持ったジョエル。
その姿を見て、私は気づく。
そうか、ボタン押さなくていいんだ。このシーンはカットシーンなのだ。だからボタン押さなくていい。
もう首を絞めなくていい。
ボタンから手を離すと、肩の力が抜けるのが分かった。
それに合わせてエリーも、アビーをつかんでいた手を放した。
いや、そんなはずはない。
この場面はカットシーンだ。私がボタンを離さなくても、エリーはアビーを放す。
ただの偶然だ。
でもこの瞬間、私とエリーと気持ちが同期した気がした。
錯覚なのはわかっている。でもやりたくもない復讐から「解放」されたように感じた。エリーも同じなんじゃないかと感じた。
解放とはおかしな話だとも思う。自分の意志でつかんでいるものは、自分の意志で放せばいい。エリーはアビーを、私はコントローラーを。だがそれができなかった。誰かに、あるいは何かに、「解放」してもらう必要があったのだ。
「もう行って!」
エリーは言う。
私も思った。アビー、もう行ってくれ!
頼むからこれで終わりにしてくれ! 後ろからもう一回エリーを襲うとか、そういうのいらないからな! レブを連れて早くいってくれ、アビー!
エリーは泣いていた。私も涙が出た。
前半のエリーは復讐者になりきれない「被害者家族」
「そのことは一生許せないと思う。でも許したいとは思っている」
かつてエリーはジョエルにそう語った。ラストオブアス1のラストで起きたことに対する言葉だ。この会話は、すべてが終わったあとの最後のデモで見ることができる。
これがすべてを語っているのだ、と、ゲームをクリアした直後の私は思った。「許せない」で始まった復讐が、「許せない。でも許したいと思っている」に変わる旅。
でも……それだと少し、単純化しすぎてないか。
と、すぐに思うようになった。
エリーは「許せない」という気持ちだけで旅をしていない。むしろ、ジョエルが殺された時に感じた「ぶっ殺してやる!」という強い復讐心は、旅の序盤ですでに薄まっている。
追っていたアビーの仲間(リア)がすでに殺されていたのを見た時の、エリーの反応は冷静だった。
「リア……死んでたね どんな気分?」
「話せなくてムカついてる」
「殺せなくてムカついてる」じゃなくて「話せなくてムカついてる」。
何を話すと言うのか。復讐者であるなら、ただ殺せばいいはずなのに。
アビーの別の仲間を拷問し、殺しもした。だが復讐心が満たされる高揚感はなく、むしろ数時間経っても手の震えが止まらないほどのショックを受けた。撃ち殺した相手が妊婦だったことを知った時には取り乱した。
取り乱すエリーの前に突然トミーが現れ、思わず銃を向けてしまうエリー。
「おい 落ち着け! なあ…俺だ」
「ごめんなさい」
「いいんだ」
この、涙声のごめんなさいは、誰に向けたものなのか。
その後、妊娠しているディーナがいることもあり、ジャクソンの街に帰ることにいったん同意する。
「ヤツらも報いは受けた」
「でもあいつは生きてる」
「そうだ…それでもいいか」
「仕方なのでしょ」
さらにその直後、ついにアビーと再会した時はどうか。トミーを人質に取ったアビーに対してこう言う。
「ジョエルのせいじゃないの
私を守ろうとしただけ
治療法がないのは このあたしのせいなの
彼は逃して」
この瞬間、エリーはもはや復讐者の顔をしておらず、家族を殺された悲劇のヒロインになっていた。トミーが撃たれても構わないからアビーを撃つ、といった発想はなく、言われるままに簡単に銃を捨ててしまう。
序盤におけるエリーの動機の薄さを問題視するレビューがある。動機が薄いのはその通りだと思う。復讐劇では、復讐者は復讐心を持ち続け、復讐を成しとげるのが普通だ。
だがエリーはそうではない。
当初あった激しい復讐心は薄れていき、アビーの主要な仲間を殺すたびに自分も傷ついてしまう。どんどん心が折れていく。
これはある意味、当たり前のことだと思う。
人間の怒りは90秒で消失するという。その後も怒り続けるためには、自分の意思で「怒る」ことを選択し続けなくてはいけない。つまり復讐心を長く保ち続けるためには、自らの心に薪をくべ続ける必要がある。
ところがエリーが自らの復讐心に火をつけたり、そうならざるを得なくなったりする場面は多くないように思えた。怒りの炎は弱まっていく。
エリーは復讐者にはなりきれず、「被害者の家族」にとどまる。
復讐心を持ち続けるのは難しいことだ。復讐を決意しても、それを成し遂げられないことは多いだろう。そう考えれば納得がいくことではあるが、面白いかと問われれば、面白くはない。
実際私は、前半のエリー編を遊んでいて楽しくなかった。
エリーの復讐心が煮え切らず、「復讐の旅」の着地点が見えないため、私はどういう気持ちで遊べばいいのか分からなかった。ただ刹那的に、目の前に現れた敵にドキドキしたり、ぶっ殺して快感を得たりするだけだ。
しかし後半は少し様子がかわる。
後半のエリーは「狂ってる」と思う。
そして旅はそれまで以上に苦痛に満ちたものになる。エリーにとってもプレイヤーにとっても。
復讐を望んでない自分を、許せないエリー
アビーとの1度目の対決に敗れたエリーは、ここでいったん復讐に区切りをつける。そしてジャクソンから離れた場所で、家族に似たものを持つ。
ところがPTSDによって、「ジョエルの死」というトラウマのフラッシュバックに時折襲われる。それでも平穏に暮らそうと努力するエリーの元を、久しぶりにトミーが訪れる。トミーはアビーの居所に関する情報を伝え、復讐の旅を再開するようにけしかける。だがエリーは断る。
「そうかい…
ここでのんびり暮らしてりゃあ…ヤツのことなんか忘れちまうか
"復讐してやる”
ジャクソンに戻った時 そう言ったよな?
がっかりだ」
エリーはその夜、自分に取り憑いている何かを終わらせるために、また旅立つ。
なぜ?! 家族を捨ててまで、なんでまた復讐を再開するの?!
トミーはきっかけでしかない。エリー自身の中に、そうさせる何かがあるのだ。
エリーにはアビーを「許せない」という気持ちは小さくなっている。許せるとまでは言えないが、忘れることができるかもしれないと思える所までは来ていた。実際、トミーの誘いを1度は断った。しかし同時に、復讐を忘れつつある自分、アビーを許してしまいかねない自分、そんな自分を許せない気持ちも残っている。
復讐を忘れたいエリーと、それを許せないエリー。
後者が勝つ。
「許せない」で始まった旅が、
「許せるとは言えないが、忘れられるかもしれない」を経て、
「そんな自分が許せない」がゆえに再び旅立つ。
義務感あるいは強迫観念に似た何らかの感情に後押しされて、エリーは再びアビーを追い始めてしまう。しかも家族を捨てて。
自分の望まないゴールに向けて、自分の意思で進む。
まだやるの!? もういいだろ!
コントローラーを握りしめつつ、私は思う。
同じように感じたプレイヤーは、少なくないのではないだろうか。
「でも許したいと思っている」で旅は終わったのか?
探索と追跡の末、海岸で再会したアビーは、戦う意思を失っていた。
「やめて 私はもう戦わない」
そんな彼女に殺し合いを強要するエリー。自分自身にも、アビーへの復讐を強要しているように見えた。何かを終わらせるためにナイフを振るっているが、振り回すばかりで、アビーの臓腑をえぐろうとしているようには見えない。
2人とも、もういいだろ!
殴り掛かってくるアビーをL1ボタンで避けながら、私は思った。
もう戦わなくていいだろ!
◻︎ボタンでアビーを殴りながら、そう思った。
アビーが海中に倒れると「◻︎ボタンで急所攻撃」の表示が出る。
反射的にボタンを押して、アビーの頭を海水に沈める。
アビーは抵抗をし、エリーの指を食いちぎる。
私は思わず◻︎ボタンを連打する。
ゾンビどもに食いつかれそうになった時はいつもそうしてきたから。
抵抗虚しくアビーの顔は再び水中に沈む。
さらに押さえ続ける。
あぁやりたくないなあ。と思った。
嫌ならやめればいい。
コントローラーを置きさえすれば、いつでもゲームをやめることができる。実際、ずっと前の段階でそうしたプレイヤーも多くいると思う。
私は続けてしまった。でもそれは自分の意思だ。
エリーは続けるしかなかった。
ゲームをやめられる私と違い、彼女にはそれしか選択肢がなかった。
そして結末。
エリーは手を放し、アビーは去る。
エリーは最後の最後で、復讐を果たすのを思いとどまった。ジョエルとの思い出の力を借りて、復讐という道に縛っているものから自らを解放した。
これは、「許せない」で始まった旅が、「許せない。でも許したいと思っている」で終わったことを意味するのだろうか。
イエス……と言う自信が私にはない。
みなさんはどうだろうか?
復讐の旅という体験
私がエリーとともに体験したことは、こうだ。
「大切な人がひどい殺され方をしたエリーが、復讐を決意し旅に出る。しかし激しい復讐心は次第に薄らいでいき、多くのものを失い、自らも深く傷つく。復讐を忘れて新しい家族と新しい生活を送ることも許されず、むしろそれを自らぶち壊す。最後は義務感と強迫観念から誰も望んでいない復讐を実行しようとするが、最後の瞬間に大切な人のことを思い出して踏みとどまる。だが失ったものは戻らず、心も傷ついたままで、復讐を果たさなかったことが正しかったのかもよく分からない」。
プレイヤーとして私は、こんな体験をした。
それで、これは、楽しいだろうか?
楽しいはずがない。つらいだけだ。実際つらかった。
でもこんな体験は初めてだった。
だから私は、このゲームを遊んで本当によかったと思っている。