新たな感覚の世代たち
いつもの神社を歩いていたら
後ろの方から子供の楽し気な声が
響き渡って来る
ひとりのお子かと思っていたら
近づくにつれ違う声も聞こえてきて
それを聞いた瞬間
耳を澄ませる
なんて心地よい響きなんだろう
なんて愛あふれるオトなんだろう
ちょうど横までその声の主たちが来た時
ちらりと見ると
3~4歳と小学1~2年生くらいの
兄弟らしきお子達だった
私の耳が反応したのは
お兄ちゃん(らしき)の方で
弟くんに話しかけていた声だった
内容はなんて事はないもので
「あそこのあれをやっつけよう!」とか
「あれを取ってみよう!」とか
お子が遊ぶよくある会話なのだけど
なんていうか
どの言葉もぜんぶ愛で溢れてて
この事はそうでこれはそうでない
ではなくて
彼から出てくる言葉 すべてが
何とも言えない愛情から湧き出ている
そんなオトを出していた
これは言葉で伝えるのは難しいけれど
敢えてそうして出来るものではないから
多分彼は日常がそうなんだと思う
行動も
小さな弟の手をつなぎ
彼の歩幅に合うように
膝を少し曲げ でも大げさではなく
彼の自由を見守る形で側にいて
振り切って走り出す彼に
人ごみにぶつからない様に
「そっちに行ったらあぶないよ」と
それも 戒めやそういったものではなく
もう本当に親以上かと思えるような
そんな暖かさこもった響きで
声をかけていた
こんな子供がいるのかと
正直すごく驚いて
しばらく彼を目で追っていた
どうやらお母さんも一緒だったようで
お母さんは普通のお方のように
お見受けしたけれど
そうか
もうこんなお子たちが現れてるのか
感覚が違い過ぎる
別次元
どうか
環境や社会に
その感覚がつぶされないようにと
願ってしまう
いまは
この地球システムの仕組みを
理解しているのが標準装備で
生まれ出てくる子もいると聞きます
親がこの世の仕組みを理解していないと
当然かみ合わない訳で
もとから「当たり前」と知ってる子と
仕組みそのものをしらない親
そしてある一部の子供は
親が仕組みを知らない という事を
知っていて 知ったうえで
その親の概念を崩すために
あれやこれやとやり
ぶつかってみたり怒らせてみたり
それが 親の概念を崩せる と
知ったうえでの行動だったりします
あるラインまで
知ったうえで 分かってるうえで
そう在るお子たちが
もう実際現れている
なんとも時代の変化
そういった彼らは
初めから愛全開がデフォルトだから
昭和世代からみると
もう 神さまですか? と
言いたくなってしまいます
これからは
そんなお子らが
どんどん増えていくのでしょう
そして
彼らの存在は
それでいいんだと
教えてくれるのでしょう
目では見えない
言葉上「愛」と名付けてるけれど
知識ではない それ を
どんどん生まれ出る
初めから分かっている
その新しき者たちから
沢山たくさん感じさせて貰って
驚いて 知って 感じて
シェアしてもらって
はぁ
何ともすごいトキに
いるもんだ
この時代の変わり目
面白すぎる
どこまで観ることが
できるんだろう
どこまで手土産
持って帰れるんだろう
どこに帰るという訳ではないけれど
経験という名のナニカが
ストーリーの中の彩はそえるから
この今の肉体としての
生 のなかで
やっぱり楽しいほうが
いいじゃない
「愛」という言葉
そのものの概念が
かわる
これから
ものすごいスピードで
変わる
その 一瞬 を
ここ で
あられますように