いま を感じる
昨晩は久しぶりに風の音と
戯れてた
強い風で辺りがうなっていて
台風ともまた違う感覚
もの凄い大掃除されてるなーとか
思いながら
二十四節気の大寒に入ってから急に冷え込み始め
こういった昔からの暦とかすごいなぁと
感心してしまう
あ 逆なのね
暦がすごいんじゃなくて(暦もすごいけど)
暦が出来るくらい昔から
この自然のサイクルは繰り返されているって事で
ずーっとその変化を進化させながら
ざっくり見れば同じサイクルだけど
どの1回も同じではないサイクルで
それがずーっと起きている って
当たり前のようで すごいこと
我々日本人は
冬が過ぎれば春が来て
そのうち暑い夏になって と
当たり前に感じてるし知ってるけど
日本に四季があるってことは
本当は凄い事で当たり前ではなくて
日本に居るだけで
暑い も 寒い も経験できて
自然の移り変わりも感じる事ができて
食材の旬もあったりして
そしてこの長い日本列島だからこその
同じ時でも北と南では世界が違う
違うけれども
自分が望みさえすれば
日本と言う国の中で
それを経験することが出来ちゃう
寒い時期に暖かく居たければ南の方へ
夏近くに桜見たくなったら北の方へ
これがどれだけすごいことか
日本 という共通認識のなかで
同じ時に誰かが自分に出来ない経験を
してくれている
別に 日本 と括らなくてもいいけれど
その誰かが出来ない経験を
自分がしている
そしてそれは
それぞれが その人じゃなければ出来ない
寒波と言われている中
たまたま新宿御苑へ行った私は
裸足で芝生を歩いてた
アーシングするつもりはなかったのだけど
寒さで人けもない芝生を触ってみたら
あったかくて あれ? となって
いやでもこの寒さの中
裸足になってたらアホでしょーとか
脳内が騒いでて
でもやっぱり靴下脱いじゃった
芝生ね
あったかいのよ
ふかふか なの
見た目は茶色くて寒そうなんだけど
大地がね あったかいの
ぎゅっぎゅっ って歩くと
歩くほどに足裏があったかくなって
大地に包まれているような感じになるの
いまのあたしが
唯一裸足で歩ける場所 芝生
いや多分芝生じゃなくても
ふかふかなら大丈夫なんだろうけど
裸足で歩けるって すごいことで
それが大地と直接繋がれる場所だと
もう あったかくて 嬉しくって
鼻歌でてきちゃう
一歩一歩踏みしめながら
ぎゅっぎゅっ って歩いて
地球に包まれて
支えてもらって
裸足で歩けるヨロコビ感じて
すごーく 楽しくて
嬉しかった
その場に行ってみなければ分からない
その場で触れてみなければ分からない
そのときどう感じるか
だって
冬の芝生は痛いだろうって
冷たいだろうって
思ってたもの
見た時も
そう感じたもの
でも
触ってみたら違ってた
あったかかった
ああ また
思い込んでたなーって
でも触ってみてよかったなーって
「そうじゃないかもしれない」
って
また思い出させてもらえた
どうしても
いつの間にか
いままでの経験 に
くるっと囲まれてしまうから
そうじゃないかもしれない って
ちょっと言ってみて
視点をニュートラルに戻す
みたいな遊び
今までの経験 があって
今の自分 があって
それは素敵なことだけど
今までの経験 が
あまり役に立たないトキに
入っているから
経験値はそのままで
それは いま ではないから
忘れちゃって
いまのじぶん は
そのとき その いま
どうしたいか
どうするのが
ご機嫌さんか
どうしたら
そのときのじぶん が
一番心地よいか 喜ぶか
一年で一番寒い時期だけど
自然は春の準備をしていて
この 枝かと思える
小さなつぶつぶに
ぎゅーっと春が詰まっていて
そのトキが訪れるのを
心待ちにしている
その自然のサイクルと
ともにある
わたしたち
自然サイクルである
わたしたち
大寒が感じられるということは
春が訪れるということ
生きている ということ
いま 生きている
ということ