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次から次へと休む間もなく

観るのは
そこじゃないのヨ

何が起きたか じゃなくて

その起きたことで
自分の中の何がうごめいたか


誰が何を言ったか じゃなくて

その発せられた言葉で
自分の何が反応したのか


それが観えたとき
もれなく みたくないもの が付いてるから
そしたらね

もう諦めて腹くくって
ドーンって跳び来んじゃうの
その みたくないもの に



そりゃーイヤよぉー
そりゃーコワイよぉー
涙も出ちゃうよぉー

でもね
それでもきっと
あなたは飛び込んじゃうよ

今までは奥深く隠れていた
本当は知っている というやつが
もう動き始めてるから

これ以上逃げられないし
もう見ないふりも疲れちゃったって
分かってるから



もしかしたら今は
コトバノセカイにすっぽりはまって
恐ろしさのど真ん中にいるかもしれない

そこは
コトバノセカイ だよ

じゃないと
そこまでのコワサはやってこないよ

そして
かつて か いつか に
飛ばされてる時だよ

それは
言葉の世界であり
記憶の世界だよ



もうね
いよいよって頃合いになってくるとね
ほんとーに容赦なく
一番キツイとこ突いてくるから

あまりにリアルに感じすぎて
息も出来ないほど
ぎゅーぅって絞って来るから
まあー えげつないったら!




そのくらいの衝撃じゃないと
その手が離せないんだよ

クルシイはずなのに
愛着湧きすぎて
そのクルシしささえ
都合よく解釈しちゃうんだよ


ジタバタしていいんだよ
わめきまくっていいんだよ
みっともなくっていいんだよ

出してあげちゃっていいんだよ
感じきっちゃっていいんだよ

もう
押さえ込まなくて
いいんだよ


該当の何かや誰かに対して
直接やらなくても
違う手立てが示されているでしょう?

ヒントは隠されてないでしょう?


クルシイねー
キツイよねー

準備が整ったって
事だよね




もし 足掻あがきのなかで
チラリとよぎったならば

その どーにもこーにものザワメキに
ぐっと近づいて

それは私なのか
観てみるといい

そのクルシミやカナシミは
私なのか
私のものなのか

言葉で探さないで
思考に頼らないで

それは私なのか
ただ尋ねてみるといい

もしかしたら
言葉でないナニカが
しるしてくれるかもしれない



どれもこれも
オソレもカナシミさえも
ひろくみれば
アイだからこその現われ

それを知るための
あれやこれや


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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。