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知るではない味わい
雨続きでお散歩していなかったから、身体が"歩きたい"と申す。
早めに出ようと思っていたのに眠くて眠くて横になったら夕方間近で、あららと思いながらも買い出し兼ねて出掛けたら、ものの見事にその時間に出なければ出会わなかったであろう出来事が次々と現れて、笑う。
どーしてつい「遅くなった」とか思っちゃうのかねぇ。ちゃーんとプレゼントが用意されてるというのに。
早めに出ようと思っていたから湧いてきた「遅くなった」という思考サンの完璧なお仕事ぶりと、流れという宇宙の采配のようなもののミラクルな美しさに、「自分」を採用したときの小ささに「ちっちゃいなー、おまえ」と笑いながらも、愛おしく想う。
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夕陽が傾き始めた空は賑やかで
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歩いてるんだか空見てるんだか分からなくなり、人様にぶつからぬよう端で止まってしばし空のショーを楽しむ。
夕方の買い物に忙しそうな人、楽しそうに会話をしながら歩いているグループ、ランニングしてる人、犬の散歩中の人。
そして私は空を見上げてる。
同じ瞬間にいるけれども、みんなそれぞれの世界を生きてるなーと感じる。
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何か思い浮かんだりやろうとした時。
それがジブンの本心から来ているものなのか、それとも外側の何かに合わせようとしていたり、何かしらの不安や恐れから「やらなきゃ」となっている事なのか。
その違いは大きく、そしてどちらで動き出した事なのかにより、自分の違和感の拡大を感じるのも強くなってきているなあと感じます。
良く言えば、ジブンの本心からでないものの窮屈さや違和感がスゴすぎて、「あ、ズレてるな」と、とても分かりやすいなと。
最近はそれも表面だったものではなく、ひとつふたつ下の階層に隠れている"思い"やらが違和感のモトだったりするので、一見思い当たる節がなかったりして。
そういったとき私は、その時気にならなければ放おっておくし、違和感強すぎてキツイ時は、その何層かまで潜り観て「ああ、これか」と見つけれ(気づけ)ば、こんなの持ってたのねーありがとさーんでサヨナラします。
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人は身体であるかぎり、どれだけ悟ろうともどれだけ見抜こうとも、身体自体にあるクセのような反応はあるので、それはこの身体がシマイとなるまで続くものだと感じます。
ただ、真実にたいする理解が深まったり、何かしらの一瞥的な体感があれば、自我や思考というものに囚われにくくなる(距離を置ける)ので、ドップリつかっているよりかは絶対的に楽なのです。
自我や思考は自分のものではないということ。
普段「自分」と思っているのは思考だということ。
そして思考は、湧いては消えるものだということ。
それらは頭の知識ではなく、身体を通して深まります。頭で幾ら「知って」も、身体というものを器として生きているのですから、身体を通して味わうことをしないとダメなようです。
その味わいのひとつとして、身体に染み込んでいる無意識なクセのようなものがありますから、それらを手放すほど軽くなり楽になりますが、身体である限り完全に無くなるということはないので、"はいここまででおしまい"ということはないようです。
だから「まだこんな考えが湧いてくる」とか思う必要もなく、考えや思いは湧いてくるのが当たり前なのだから、それに囚われなければ、それでオシマイです。
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どれだけ周りで何が起ころうとも
どれだけ頭のおしゃべりに振り回されようとも
「いま」に戻り
その瞬間にあるものだけに落ちつけたとき
本来のジブンに落ちつけたとき
そこには
安心しかありません
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そこでひと息ついて
そして
また日々のなかに戻るのです
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身体をつかって
身体をとおして
いま生きていることを
楽しめるのです
味わえるのです
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地球に生まれてきた
ヨロコビです
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