真ん中からひろがるセカイ piece_vol.84
すべてはなるように成っていて
おこるべくして起こっていて
起きてる物事はどこまでも中立で
それは意味がないとも言うことができて
その意味の無いことに
どう味つけし味わうかは好みしだいで
味わい方は無限なのだなーと感じます
さらに突っ込めば
なにも起きていない となるのでしょうが
この言葉ありきの世界を楽しむのであれば
摂理を心底理解したうえで
もう少し手前で遊んでも良いのではないかと
そう感じたりもします
ただ
何も起きていない というのは
その真っ只中にいるヒトにとっては
救いのある言葉でもあり
これが
言葉ありきの世界の
ステキなところです
頭の知識はもう不要で
知ることで安心を得て満足することから
いかに自分は何も知らなかったか を
身体の体験を通して知る
へと移りかわっています
知らなくていいのだと
分かってなくていいのだと
そう
深まっていき
そう なるために
様々な物事が起きているように感じ
それにより
言葉 を求め
意味 を求め
正解 を求めようとなりますが
それは
どこかで反転します
どこまでいっても
外側に意識を向けている限り
安心さからは遠退いていきます
それが
その時どれだけ
求めていた言葉だとしても
言葉の世界 を
思い知らされます
それらは
ある意味吉報です
以前は通用してた
言葉でのマジックは段々違和感にかわり
どれだけ言葉を吸収しても
いっときの隠れ蓑にはなりますが
そこから安心はえられません
知識で見ていた世界から
感覚インスピレーションで観る世界へ
変わってきています
その基盤は
ジブンであり
ジブンというものを深めることで
感覚インスピレーションのもととなる
ナニカとの繋がりも深まり
深まることで
ジブンへの信頼も深まり
安心も深まります
なにも突飛でもない夢物語のハナシではなく
感覚や直感インスピレーションといった
肉眼で見えないものへの偏り知識が
ゆるんでいくだけのことであり
”自分”は何も知らなかったと
気づくだけです
何回も 幾重にも
あまりにも複雑に絡み合って創りあげた
自分という拘りの世界の拙さを
笑い飛ばし
個性特質はあるけど
自分が ではなく
そこから観れるセカイ
そこから繰りひろげられる
ジブンのセカイ
それは
今まで自分がやってきたと思っている事も
あれこれの思惑も
ぜんぶ すべて
まるっとひっくるめて
それでいいよと
そのままのあなたでいい
という
時にして薄っぺらく感じてしまう
言葉さえも
その個性特質の身体をつかい
経験というものを通して
感じることで
味わいが深まり
なぜこの身体というものを使って
いま を生きているのか
自分と思えてるものが
生かされているのか
少しずつ
でも 急速に
そんな感覚がひろがっていき
安らぎのセカイが充り
安らぎのセカイから
現した世界が広がり
アイで
いっぱいに