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三ヶ日過ぎてありがたきだらけとなる

お正月も終わり、明日から仕事も始まります。
いい正月だったなあとフと思い。

どこか行くわけでもなく、特別な事をするわけでもなく、ただやはり大晦日までは何となくバタバタとお掃除やら追われる感はあり、年が明けると何となくの清々しさは感じられて。

いつものように朝起きていつものようにコーヒー淹れて、お掃除して洗濯してひと息ついて。なに食べようかなあと身体に聞いてお料理して。
「お正月」という言葉を付けなければ、いつもとほぼ変わらない日常でしたが、それでも外の空気はやはり何か新しさを感じられるようなものがあり、お店は閉まっており、帰省なのか街中は静かであり、その静かさがまた心地よく。

「暖かさ」にありがたさを感じる日々でもありました。都内も気温が下がり冷え込んでいたからかもしれません。
洗濯物を干し終え窓を閉めてからのぬくもり。冷えたままお湯に手を通したときのホッとする身体のゆるみ。お外から戻った時のお部屋のあったかさ。
台所で火を使うだけで暖かさがひろがり、「火ってすごいなあ」と感じてみたり。料理中の湯気や水蒸気でも部屋が暖まるのを感じたり。
暖かな飲み物が身体を通って温めてくれる感じ。一番は、湯船に入ったときのあの「ふっわぁ~」という心地よさ。身体がゆるみとけていく感じ。

その暖かさを感じる度に「雨風しのげる所でお正月迎えられてありがたいなー」「エアコン壊れずに働いてくれててありがたいなー」「電気ガスがあって料理できてお風呂入れてありがたいなー」「お布団あるからぬくぬくでありがたいなー」と、やたらありがたさを味わっていたようです。

「ありがたさ」は可笑しなもんで、気が付き始めてしまうと次から次へと連鎖して見つかり止まらなくなります。だからずーっと何やってても「ありがたいなー」が出てきてしまいます。しまいには何から何までありがたくなってしまうので、面白いもんです。

お陰で特段何かがあったわけでもないのに「ありがたいなー」とずっと感じられていたお正月でした。ありがたや。


新年明けて特に感じるのは「切り替えのはやさと風向きの強さ」で。

自分の思いや感じたこと、それらに傾くチカラが強くなったかなーと感じます。思い感じたことにぴゅーっと追い風が吹くような。
それは良くもワルくもなので、凹んだらそっちへビュンと押されますし、嬉しき事があればひゃーっと吹かれます。
と同時に、何か物事起きたりやったりした時の「切り替え力」も速く感じるのです。
なので、たとえ凹んだとしても何かきっかけあればビュンと立ち直ってしまい凹んでたことすら忘れちゃう、みたいな。

だから、ネガティブと呼ばれるようなことにズンと入ってしまってそれを認識できたら(あ、いま凹んでるなとか)、何でもいいからきっかけ作ってしまえばいいと思うのですよね。自分が興味ありそうな事とか喜びそうなことをけったるくても取りあえずやっちゃう。身体動かしてみる。それがきっかけとなって、切り替え力が速いから抜けるのもはやく、やったことは自分の喜ぶことだから、今度はそっちのヨロコビの方への風がビュンと吹いて楽しくなっちゃう。

軽くクリアになってきている分、今まで目につかなかった物事に気付きやすくなるんだろうなあと思います。
それは外側の現象だけでなく自分自身についても同じことで。今まで気にならなかった自分のあれこれが気になり出したり、忘れていたものを思い出してみたり。

でもそれってやはり何かのきっかけだと思うのです。「もうその思い込みは要らんでしょ」とか。今まではそれを「見なかったこと」に出来ていたのですが、多分これからはそれをやろうとするともっとキツくなるんじゃないかなと感じます。
本来のジブンの想いが強くなってきているから。

見なかったことにすることで今までは自分を守って生きてこれたのでそれでヨシなのですが、もしもうそれがそろそろ必要なくなって来てるならば、「もう大丈夫よ~ 要らんよ~」というようなお知らせなのかもしれません。

もう大丈夫だから離していいよ、と。

もっと言えば
もともと大丈夫だから。今まではちょっと風邪気味だったから防御必要と思っていたかもしれないけれど、もともと大丈夫ということを思い出せるタイミングに来たから大丈夫よー、というような。


外向きから内向きへ。
他人軸からジブン軸へ
足りない自分から
足りていたと思い出す自分へ
得る満足から削ぐ充足感へ


楽しい年が始まりました。


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kitoma
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