ぜんぶもぶぶんもありゃせんで piece_vol.52
生きているのだから
そのおおもととなる
根本 全体 が
開かれているのが
いいのだと思っていた
のだけど
違ったのね
いや 違わないけど
部分でも
それが起きていれば
そこに気付いていて
それを生きていれば
それでオッケーなんよね
あたりまえのことなんだけど
あたりまえすぎて
観えてなかったワ
いやはや
私がたまたま
全体からの視点が
得意らしきものだから
そして
全体は
部分を「含む」から
みな 全体 ありきで
動いているのかと
そう 思ってた
違ったね
「含む」としてる時点で
別けて たね
そう
捉えてたね
部分も 全体も
ないのだから
そのまんまでいいんだね
そこ 別けちゃうと
ややこしいままだね
あらら
だから
得意なこと 好きなこと
夢中で出来ること
気づいたら時間が過ぎてるような
そんなこと
それらを
本気で
ジブンの真ん中で
理由もなく
意味もなく
そんなものつけられないところで
ただ 楽しくて
ただ 嬉しくて
やっていれば
やれるのであれば
もう
それが
全体で
それでオッケー
なんね
そこを
いやまだ他がありますから とか
全部はみえてないですから とか
そんなもの
要らんのね
あはは
別けて見る
という習慣は
しつこいというか
染み込んでるというか
見る 視覚だけでなく
聞く 聴覚だけでなく
あらゆるものが紐付いて
連動して組まれてるから
まあー色んな角度から
ポロポロ落ちてくることったら!
ただそのぶん
そのどこかの 部分 から
ちょっとユルめば
ほどける糸口の端っこが
ぴょん!と出てくるのかもしれないね
だからこそ
ナニカの部分で
ジブンを開いていくことは
楽しいのね
そして
その部分をしらなかったひとが
それに触れて
その根底のものに触れるとき
ジブンの中のオナジものが
共鳴して 共振して
表向きのカオはちがえど
ナニカ がちゃんと
振るえるのね
そうやって
いろんな 部分 から
全体 にも流れていって
だから
全体だろーが
部分だろーが
そんなもん
どっちでもいいのね
どっちが
とか思ってる時点で
囲ってたね
あはは
いっぱい
ボロボロ壊れていくというのは
剥がされるときの痛みや
叩かれたときの痛みが
瞬間あるかもしれないけど
壊れたあとは
スッキリさんだし
壊れたあとに出てくる
お隠れもの が
もう何が出てくるか
楽しみすぎて
そんな瞬間の痛みなんて
あっというまにどこか行っちゃう
というか
壊されている
という感覚すらないくらい
ナチュラルで軽やかで
そのこと自体が愉しくて
後になって
あら 軽くなってるわー と
気づくくらいで
もう
デーンと構えてやる必要なんて
ないのね
チカラを抜けばぬくほど
緩まればゆるまるほど
らくーに
ちゃんとそうなってる
うん
すごいね