見出し画像

そのときわかる

例えば本を読んでいて
ある個所に来たら
「ああ ここ読むための本だったか」
と分かる時がある

それは 理由理屈抜きのもので
意味もなく「そうか」と わかる

本全部がそうな時もあるし
一章のときもあるし
一行のときも ワンフレーズのときも
本当にその時々さまざまだけれど
その時 知るためのもの がそこにはあって
それはそこに触れた時 必ずわかる

何でそれが必要なのか とか
どういう意味意義なのか とか
そんなものは全く分からないし
どーでもいいのだけど

これは本だけじゃなくて
音楽でも絵画でも誰かとの会話でも
何でもよくて

それを知ると
そこから次に繋がって行ったり
今まで隠れていたものが現れたり
取りあえずの「点」として置かれたり
それも様々だけど

こういう感覚は誰にでもあって
それに気が付いてるか否かってだけで
気付いていたからどーなのって訳でもないし
スピ好きだったりすると
変にそこに意味を与えちゃったりして
特別感出そうとしたりもするからナンだけど

でもそういった場面に出くわすと
ああ この為に現れてきてくれたのか
と ありがたさが湧いて来る

繋がりや 流れのようなものを
深く感じるようになる



そして日常というものは
そんなもので いっぱい


ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。