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じぶんごとにしなくていい

何かは切り替わった
何かが切り替わった
それが何かは 未だわからないけど

あまりにも濃すぎて観えてないのか
意識と身体がマッチしてないのか
ちょっとした浮遊感

でも
ナニカがある のは
わかってる しっている
そんな感じ



何度クリアニングしても浮上してきて
引っ張られる思考感情があるのだけど
蝕になってから少し見方が変わって
「なんでコレにこんなにつかまる?」となり
尋ねてみると

個人だけのものじゃないから
捉われなくていいと言う
それこそ過去世と呼んでいるもの
集合意識的なものらが
重なり絡んでいるものだから
いち個人として捉えても
抜けれるものではないらしい

んじゃーどうしたらいいのさ?
いつまでもこんなのに
取っつかまってるのはイヤなんさ

どーにかしようとしなくていい
と言われる
どーにかしなきゃいけないと思うのは
古いヤツだから
どーにかしなきゃいけないと
思っていてもいい というスタンスで
あとはどーにかしてくれるだろうと
任せてしまえと 

自分の世界を 自分の宇宙を
自分の大いなる流れを 信じろと

うーむ  と思いながら
チカラ抜いてボーっとしてると
そのうち映像がちらついてくる

ああそうか
いま身内で絡まってる強固なやつも
これ絡みなのか
しかも今世じゃないのか
ややこしいなー



もしも
何度も繰り返し
とらわれるパターンがあるのならば

今世の自分ごとと重く持たなくても
たぶん大丈夫です

あなたがワルイ訳でもなく
誰かがヒドイ訳でもありません

いま ぜんたい というものが
一掃 一新 しています
それは
今までと呼ばれるすべて なのですが
今の生 今の時代 だけではないようです

いままで を一掃しているので
あらゆるすべて が絡んでいて
個人レベルではないものもあり
それを「自分という個人」が感じてるので
「自分が」となりますが
それだけではないようです から

やっぱり
自分の真ん中戻って 落ち着いて
そこでユラリと俯瞰して観てみる
のがいいのかなと感じます

外側意識で居ると
その時の遠心力吸引力は強いので
気付いた時点で真ん中戻って

真ん中にいてリラックスしていれば
イメージなり直感なり
飛んでくることもありますから

それらは
理由理屈抜きに
ああそうか となるので分かります

分からなくても
感じなくても
本来の自分の安らかさ に
ひたっていたほうが
流れに抵抗なく そのうち
開けていくみたいです



別視点で観てみれば

自分 という個人はないので
それにまつわる過去世とかもなく
ひとつの個性キャラクターを通して
紡がれているストーリーと
地球宇宙規模のストーリーとで
壮大なお祀りが
自分宇宙というところで
起き流れています

そしてそれらもすべて
ストーリーです



ストーリーを
ストーリーとして腑に落とす
そんな作業が
為されているのかもしれません



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kitoma
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。