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いま 目の前にあるもの
元気なお野菜が手に入って
素焼きというシンプルさで食べたら
満足感でいっぱいになった
ほぼお野菜だけで
お腹いっぱいなるかしらと
思ってみたりしたけど
その 元気な野菜たち のパワーは
ぎゅぅーっと詰まっているから
やっぱり量は要らなくて
ひとつひとつが味わい深く
最後に厚切り南瓜グリルを食べたら
食後の甘味もいらなくて
どこぞの美味しい料理を食べた時や
何だか量をたくさん食べた時やらの
お腹いっぱい とは異なる
身体が満足している というような
そんな満足感がひろがって
ああ そうだった
こういう満足感/充足感だった と
かつて経験したことあるこの感覚を
思い出して 味わってみたりした
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こんな風に
時々でも 自然なカタチ の
身体のよろこび とか感覚を感じてみると
そうでない時 との違いが知れて
そうじゃなきゃいけない 訳ではないけれど
身体がホッとする食事にしてみようか とか
なるのかもしれない
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それはつまり
いまの自分が何を欲しているか
にも繋がるから
結局は じぶんを知る ということへの
アプローチのひとつ
と言うか
生活含めたすべては
じぶんを知る ためのものだから
色んな角度から
生きるための生活 ではなく
じぶんを知るため に
変換されていけば
楽になるんじゃないのかな
やっている と 思っている
あらゆるすべては
そこへ流れるように繋がっているから
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どこへも向かっていない
だから
どこかへ向かわなくてはと
頑張らなくてもいい
向かっているような
達成感的なものを楽しみたいのなら
それもいい
これから今までのような
時系列での時間の流れ のような感覚は
崩れていくから
どこかへ向かわねば と
チカラが入っていると
迷子になっちゃう
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目の前の出来事を
ひとつひとつ 丁寧に
それが結局
どこかに向かっていた と
後になって観えてくるものだから
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遠くじゃなくて
目の前の しあわせ を
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