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そのアタリマエさが
本当に 日常の些細なことすべてが連動していて
その 小さな小さな当り前さのすごさ に気付き始めると
じぶんのなかでナニカが反応し始めます
これは エゴや自我が騒がしい時には
なかなか気づきにくいところで
だからどうしても
先ずは自分の真ん中へ 静かなところへ
となってしまいます
この絶妙なバランス
自分という自我では届かないところなのだけど
気配や香りだけは何故だか意識できるところ
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この自我やエゴというものも
古の智慧の頃とは
だいぶ取り扱いが様変わりしているようで
当時の先人たちが今の普通の人をみたら
どう感じるのかしらと興味が湧いてみたり
もしかしたら 今の時代ならば
もっと違うエッセンスで伝えてくれたかもと
思ってみたりもします
そのくらい今の時代は
ひとりひとりの意識のありかたが変わって来ていて
自我やエゴも仕組みは変わらずとも
何かが変わってきているようです
だからあまり 今までの教え などに
強くこだわらなくても それよりも
その時湧いたインスピレーションで
ちゃっちゃっとやった方が
案外スムーズに流れるかもしれません
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これからは
過去というものをいつまで持っているか で
自分のバランスが変わって来そうです
過去を持っていてはいけない と言うのではなくて
それを常に持ち運んでいる ということに
いつ気づくか
その持ち運びが少なければ少ないほど
じぶんの心地よさは広がるでしょうし
流れもスムーズになります
だからこそのお掃除であり
手放しであり
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かつて をいつも持ち歩かなくても
ちゃんと 今必要なときには
必要な かつて が出て来てくれるから
だから 大丈夫です
しかも その時出てくる かつて は
いつも持ち歩いてる かつて とは違って
その時に合った かつて として
最善バージョンで出て来てくれます
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日常の小さな出来事
日常のささいなヨロコビ
日常のありふれたアタリマエ
実はこれらがスペシャルなのだと
どこかでコロンと
ひっくり返るかもしれません
日常がスペシャルです
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