いろんな視点への切り替わり
1月下旬頃からどんどん強いエネルギーが降り注いでいて気を抜くと全身細やかな振動にひたる~みたいな感じが続いています
まあ実際は前からずーっとパワフルエネルギーは続いているのだけれど 月替わりとか何かの節目とかは更に強く感じるようです
いい加減このパワフルさに身体も慣らされて来たのかなあーと思うのですが 振動はどんどん繊細に微細になっていくようで 荒々しさから細やかさへ慣らされていっているかのように 調整されているかのように
あ こうやって意識が具現化のように認識されるのか というのを夢の端っこでみせて貰ったのですが なにぶん言葉に変換できるものでもなく ただ こうなのかという意味不明の確信だけが残っていて その夢の端っこ尻尾をつかまえるまでもなくしゅるしゅると消えて行きました
言葉・意味づけ・認識力・思いのチカラ・意識・意図 ここらへんがやはりネックになるようで この世界は言葉で出来ている という理解が深まったならば それに相応して意味付けやら何やらがあるので どれも深く追い求めなくても自然にゆるんで来るように出来ているのかなとも感じます
この世界は言葉で出来ている と聞いて
ああそうなんだーと知識として知るだけでなく そこが腹落ちし深みが出たとき ああほんとにそうなのかもしれない となってきたとき この『ことばの魔法』が及ぼしているもの 仕組み 仕掛け そんなものが感じられてくるのかもしれません
この仕組み仕掛けのようなもので もっと目の前の現実を良くして行こうというものではなく それによって自分という成り立ちを感じる 自分が生きているという事を 自我的目線ではない視点から感じ取れる感覚のようなもの そんな香りが漂ってきます
私は人を通じてやその他を通じてインプットされたものが 眠りというものを介してストンと落ちるという事が多いのですが きっと人それぞれその人に合ったやり方や方法で同じような事は起きているはずで ハッキリこれだと解らなくてもジワジワ染み込んでいくような形でいつの間にかそうなっていたとか そんなケースもあるのかもしれません
いずれにせよそれぞれのオリジナルなのでそのうち自分で気が付くかもしれませんが 本人自覚してなくてもちゃんとそうやって成っているようです
夢の端っこをみせて貰って目が覚めたとき 「あー 意識の向ける先 意味づけさせているもの に目を向けなきゃあかんなあー」と思ったというのだけ残っているので やっぱりこれまで積み重ねて来た「思い」の解体とそこへの意味づけの手放しらが取りあえず必要かなと
手放し出来なくとも せめて頑固に持ち続けてきたものは 「違うかもしれない」「別の視方があるかもしれない」というスペースを作り風通しをよくするように意識するというのが取っ掛かりとなり そこから様々な展開がサポートされて行くこともあるのでしょう
「違うかもしれない」「違う視方があるかもしれない」というのは ある意味それまでの自分を否定する事にもなるので 自我サン的には反発してみたり違和感満載になったりするのかもしれませんが
逆方向からみればそれに向かえないというのは 「自分の正しさ」から手をゆるめられない という事でもあるのでもしかしたらどこか奥深くに自分の正しさを証明しなければ生きていけないというような思い込みが隠れているのかもしれません
もう「自分の正しさ」なんて証明しなくても生きていける時代です
自分の正しさで自分を成り立たせる仕組みはシマワレています
ここで言う「自分の正しさ」とは 自我を支えるための生き延びらせるための「自分が正しいという主張」の事です
自我がワルモノではなく
それも仕組みのひとつだったんだと
知ることで
強張りがゆるんできます
言葉というもの
それに意味を付けているということ
それが無意識に動いている日常だということ
そこらへんへの風穴あけが
始まっているようです
どんどん風通しがよくなります