もう出来ちゃっても大丈夫だから
真夜中に目を覚ましたら
そこはもう 秋だった
鈴虫が鳴いていて 涼しい風が吹き抜けて
日中気温はまだ高いけれど
陽が沈むと秋がずぅーんと近くなる
人の気配のない真夜中は
秋でいっぱいだった
素敵な空間だった
そうなんだよね
みんな 出来ちゃう事
をオソレてたりするの
素晴らしく素敵な自分である事
をオソレてたりするの
でもって
何でオソレるかって言うと
”そうであることを 知っているから”
知らないことは
オソレる事もできないでしょ
いま
ナイからアルへ移行していて
今まで
出来ナイ 足りナイ そうでなければいけナイ
と マイナスである事がヨシとされて
そこから だから頑張ろう だから得よう
とかなっていたけれど
もうそれは通用しなくなるから
元々じゅうぶん充たされていた に
気づくよう色々出来事が起きていると
思うのだけれど
それは物質的な事だけじゃなくて
むしろ そっちは後で
自分は十分充たされている
いまそのままで完璧 というように
今までの そのままじゃダメ から
反転されるけれど
そこに結構強く引っかかるのが
良くなる事へのオソレ のようなもので
これは人それぞれ何に対して
ブロックかけているかは違うけれど
何らかの形で
そうなって(良くなって)しまったら
という意味不明の思い込み が
絡まっているかもしれません
そうなってしまったら
ヨクナイ事が起きるかもしれない
と いつの間にか掴んでしまった
深い思い込み
それが何なのか は
その人にしか見つけることが出来ませんが
今は浮上しやすくなっているトキ
「分かっちゃいるんだけど」の
裏側や陰にひそんでたりするので
そうしない自分 を責めることなく
淡々と 「何でそう思うの?」と
繰り返し聞いて
そこに理由付けや理屈付けはしないで
思考も働かせず ただ淡々と
新しい人たちは
ここらへんはクリアに生まれてきてるんだろうな
丁度移行期を大人で過ごす人たちは
そういった経験をしたくて来てるから
そこらへんは誰のせいでもなく
みんな順調にナイ→アルへのイベントを
その人にしか出来ない経験で
過ごしています 生きています
ただ
その 思い出しパワー はすごいから
キツイけれど
クリアできる事しか訪れません
それが出来ちゃうと
何が困るんだろう?
何を 守ろうと してるんだろう?