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春風とともに
窓を開けっ放しがイイ季節がやって来た!
陽が昇って空気も暖められた頃、あっちもこっちも窓を開け放つ。
ふわぁ~っと柔らかい風が部屋中駆け抜ける。
はぁーあ。なんて気持ちいいんだろ。
髪切って足取り軽く、数件先にあるお肉屋さんで唐揚げ買って、お昼はこれ食べようとか思っているのに揚げたて香りに誘われて、線路沿いのチョイひとけが引いた道に入ったら、角っこの所で立ち止まって1つ取り出しモグモグ食べる。へっへっへー。こういう食べ方がホントは一番美味しいと知っている。
食べ歩きはあまり好みじゃないけれど、立ち止まりモグモグはたまーにやる。だって、どー考えたって作りたてが一番美味しいんだもの!
買ってきたばかりの春キャベツを千切りにして新玉ねぎも入れてみたりして。シャキシャキの春キャベツに唐揚げ。お味噌汁は昨晩の残りに半熟茹で玉子を追加して。
はぁ~あ。なんて美味しいんだろう。なーんてことない物だけど、春の元気がいっぱい詰まったお野菜を元気なまま頂けて。ハチミツまぶしておいた柑橘類にヨーグルトかけてデザートまで食べちゃったりして。もうどこぞのレストラン行ったかのような気分で大満足が訪れる。そしてまた「幸せだな~」とか喜んでる。
暑くもなく寒くもなく、心地好い風が通り抜けて、その時食べたかったもの美味しく食べれて。
お散歩する時ちゃんと足が動いて、八百屋さんでは大きな春キャベツを丁寧に持参バッグに入れてくれて、ポカポカ陽気で洗濯物も乾いてる。
これを幸せと呼ばないなら、どこに幸せが転がってるんだろ?
わたしは何もしてないのに、瞬間瞬間が満ち足りてる。
足は勝手に動いてくれるし、洗濯物はお陽さまと風のお陰。キャベツは農家さんだし「春」は今ならではの自然の流れで摂理。
わたしはなーんもやってない。けれども大満足を頂いている。ありがたいこっちゃ。
4月に入ってからの変化はすさまじく、もう数週間経ったような感覚なのにまだ6日なのね。
いちばん明らかなのは、自分軸というか自分の中心から外れたままで何かした時の違和感と引き戻されかたがなんだか急にパワフルになって。
落ちるときはドーンと落ちて、それで気が付いて真ん中戻ると、今度は不思議なくらいすっと簡単に戻れる。さっきまでのアレはなんだったんですかぃ?と言いたくなるくらい。しかもそれ自体を忘れるのが早い。
だから、とにかく自分軸で在ることに意識を向けているのが一番楽なんじゃないかしらと思います。外れると物事スムーズに進まなくなってたりやたら違和感感じたりするので「何かがチガウらしい」と気が付いて、気が付いたならまた戻ればいい。どーしてああなっちゃったんだろうとかクヨクヨする必要もない。「どうして」に意識向けてると、今度はずーっとそこに居るのが強くなるような流れだから、「はいはい、ズレてたねー」とか簡単に軽やかに足らっちゃって、ちょっと落ち着いて身体ゆるめて、自分の真ん中安らかなところを意識する。
新年度とかでもあるし、生活環境変わったり何か新しいことが始まったり、色々変化が始まったばかりだったりする人も多いと思うのですよね。
始まったばかりって何がなんだかワケわからないまま慣れるのに精一杯だったりして、自分でも気が付かないうちに無理してたり頑張っちゃってたりします。
今までとちょっと違うのは、もう既にイマの自分と合ってないやり方や考え方を、それまでの習慣とかそんなもので同じようにその新しい変化たちに対応しようとすると、以前は感じなかった違和感とかモヤモヤを感じやすくなってる事だと思います。
あれ?前と同じようにやってるのにナンか違う、みたいな。
家族とか他の誰かに何か前と同じこと言ってるのに、なーんか自分の中でしっくり来てないとか。
それって、自分では気付いてない、自分のなかでの変化が起きてますよーってお知らせでもあるんですよね。
自分と合ってないから、違和感が出る。変な感じがする。でもこれといった要因は思い当たらない。目の前の事は別段何か起きてるわけじゃあない。
でね、これって自分のなかを観るタイミングだったりでもするんですよね。せっかくそのために違和感とかモヤモヤって形で現れてきてくれたのだから。
ちょーっとだけ立ち止まって観てみるんです、自分を。
どっか無理してないかなーとか、本心と違うこと言葉にしてないかなーとか。
本当にジブンが喜ぶからやったことかなーとか。
もしかしたら、自分の中が既に変わってるのに気付かないで、単に今まで通りということだけでやろうとしていた事があるかもしれません。
好きでやっていると思ってたけど、どーも「誰かのため」にやってたのかもしれないと云うのがあるのかもしれません。
分かっちゃいるけど、周りとの付き合いや風習とかで、そうやらざるをえないとやっているのかもしれません。
違和感とかモヤモヤは、本来のジブンとずれてるよーと教えてくれるサインです。
で、それらを感じてるのに見なかった事にしてそのまま過ごすのも、もちろんアリです。
でも今の全体の流れは速いので、その時は上手くいっても後々また同じような違和感を感じることがあるかもしれません。
そしたらその時ちょっと立ち止まってみてもいいかもしれません。
何が出来ないって、ジブンを誤魔化すことが一番出来なくなってきています。
ジブンに嘘つくことが出来なくなってきています。
全体の流れがそんな風に変わってきています。
誰がとか何がとかそんなの関係なく、理屈も理由もなくそうなってきています。
流れがそうなっているのですから、「自分だけは」と頑張っちゃってもそりゃー無理なハナシです。
違和感やモヤモヤも感じやすいですが、そのぶん本来のジブンにそうよう戻したとき、戻さずともそうしたとき、ジブンのなかのフワッとした安心感や安らぎやあったかくなる感じを、より感じやすくなっていると思います。
身体がその瞬間ふっとゆるむ感じ。
ああこれでいいんだなーという根拠も何もない安心感のようなもの。
そんなのが繰り返され信頼するようになることで、ジブンという軸のようなものが深まっていきます。
そのまんまのジブンで大丈夫なんだなーという安心感。
本当はね、誰でも大丈夫なんです。そのまんまで。でも「そのまんまじゃダメじゃーっ!」という自我のほうについ乗っかっちゃうんでね。
もしちょっとだけ「あれ?」って感じたなら。
いま、
"このままじゃダメな事"
なんてあるんたろうか?
って観てみるんです。
いま、
何かオコマリゴトは
あるんだろうか?って。
じゃあ、
「そのまんまじゃダメだ」としてるのは
なんだろか?って。
いま の
なんの過不足もない安らぎに
ゆーったりしてみるんです
春風ふわっと
感じるように
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