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夢という名の現実と 現実いう名の夢と
懐かしい面々の夢を見て
目が覚めると同時に
”理解” が訪れて 矢継ぎ早に
ああ あれはそういう事だったのか と
今まで持ち運んでいた記憶を
上書きしていく
ひとつ ではなくて
繋がりのあるものもそうでないものも
幾つもが多方面に同時に動いてるかのように
でも 解ろう としてるのは一方だから
ひとつ終わると直ぐ次に という感じで
ポンポン場面が変わり 理解が変わって行く
ひと通りその流れが終わると静かになって
はぁ~っとなるのだけれど
何だかもの凄い深い所で
書き換えが行われてるようで その気配からは
何となく逃げたくもなるのだけど
顔を背けるとそれ以上のカタチで現れるから
それが来た時はそのタイミングなんだろうと
腹をくくってご対面する
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以前と違うのは それが起きている途中
思考であれこれ考えないよう
自分の意識の向いてる方向を常に観ていて
思考に持っていかれそうになると
ハート感覚へ引き戻して頭から切り離す
というのが起きている
思考に持っていかれると
解釈 が始まって
どうも自分の都合の良いように
微々たるものだけど塗り替えている
そんな気配がして
ああ 今までこうやって
「本気」から背けて来たのか と
その手腕の鮮やかさに驚きながらも
これが「自我」なんだよなーと納得する
自我はその「本気」と対面すると
自分が傷つくと思っているから
「自分」を守ることが仕事の自我としては
「本気」に向かい合わせたくない
それが仕事だからしょーがないし
それが正しいと思っているから
だから 「自我」意識と絡んでいる以上
いつまで経ってもそのぬるま湯から出られない
でも こうやって全体が軽くなって来て
かかっていたモヤが薄れてきて
その仕組みやら構図やらが
おぼろげながら見えてくると
ある時ハタと気がついちゃう時がある
今はそれらが
パタパタと連動して起きて来ている
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自我の動きを端に置きながら
今まで何回もやっているご対面をしてみると
これまでとまた感覚が違って来たりして面白い
そして改めて
「本気」とご対面する事は傷つく事ではなくて
そう思い込んでいたものを取っ払える事で
より深く「じぶん」に近づける と感じる
思い込みが覆っているから
それを剥がすトキの痛みは
確かにあるかもだけど それはホンの一瞬で
今はサポートがすごいから
そんな痛みに浸ってる暇もなく
あっという間に深い所へ飛ばしてくれる
いやはや 便利
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感じてるのは
この世的な感覚の流れと
内面で今起きている流れは 同じじゃないから
外面的に大して変わってないし何もしてないと
そんな感じでいて たかをくくっていると
多分身体のバランスが崩れて疲れる
それくらい 外と中の”みかけ”の差が大きい
で まだ「自分」としては
以前の流れの感覚でいるもんだから
同じくらい と思っているかもしれないけど
とんでもなく内面は変化加速してるから
そこらへんちょっと頭の隅に置いておかないと
繋ぎでもある器の身体が
今一生懸命馴染ませようと整えてるのに
変な思考的思い込みや物理的に身体への負担で
バランス取りづらくなって 崩す
自分に対する思いや感覚 も
前のままじゃない って事を肝にめいじて
よーく観ていないと
直ぐ以前の感覚で振舞うから
もう外側のあれこれに
気を取られてる場合じゃなくて
観なきゃいけないのは
ウチガワであり じぶん
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今更ながら改めて この身体っていうのは
よく出来てるなーと思っていて
目は外向きについてるから
外側しか物理的に見えなくて その「眼」を
ぐるんと反対側の内面に向けることで
本来のじぶんというものを認識出来て
これは物理的には証明しにくいもんで
そしてここでも対極があって
この地球という世界は全てそうなっているけど
どう分かればいいっていうのはないけど
この身体ってもんを
ちゃんと観て受け止めれば
案外そこに全部「理解」への紐づけが
ちゃーんとされているのかもしれない
見えないものをどれだけ信じられなくても
自分の身体がそうなのであれば
信じるしかなくなってくるもんね
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色んな方向から
理解 が訪れて来ていて
その 理解 が
身体に馴染まされてバージョンUPされて
器が変転されていく
そこに 以前の記憶 は要らなくて
その中には 自分に対する記憶 もそう
一番に捨てちゃっていいのは
自分に対する記憶 なのかもしれないね
つまらないこだわりやわだかまりや
プライドや信仰や確証のようなもの
自分に対するそれらはポーンと捨てちゃって
いま ココロのウチに
目の前に現れているじぶん が
どのように反応して
どのように感じているのか
それを観たほうが
ないめんおくそこ がウキャキャと歓びながら
「そう それ!」と合図を送って来るから
捨てちゃったものらより遥かにステキなものが
また訪れてくれる
今度はそれらを大事にしまいこまないで
風が吹くままに 流れるままに
その時々のじぶん として
都度進化しているじぶん を
楽しみながら一緒に流れていけばいい
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保持しとくべき自分 なんて
もういらない世界
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