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ぶんぶん振り回されてストンと落ち着く

8月に入ってまた空気感が変わってえらくパワフルだなーと感じる。押されるような促されてるようなそんな感じ?毎月よくまあ月初に変わるなあと感心してしまう。

重圧感あるのだけど相変わらず振り幅大きいし、それに伴い自分も揺さぶれるから真ん中戻ったはずなのにいつの間にかピューンとどこかに飛ばされてる。今日はまた真ん中戻ってる暇ないくらいあっちこっちに飛ばされてたから笑ってしまう。疲れちゃった。あはは。

それでも確実に変わってきてるなあと感じるのは、色んな出来事に振り回されても少しずつでも自分の反応は変わってきてることで。
同じような類いみたいだけど未だよくわからず、小さなモヤモヤがわちゃわちゃしてる。ただ、それらが自分の中で"自分に対する違和感"ではあるから、そのうちきっとポーンと弾けるんだろ。「もっとこうしたいのに出来てないジブン」への反応とかね。「もっとこうしたい」がそもそも囲いだし「こうした方がより良くなるはず」が隠れてるから、それ出来たとしても一瞬の満足感しか出んしな。本気でそうしたかったら既にそう現れるだろうしなー。まー考えても仕方ないので放っておこう。
ただし眼はそらさないで。出てきた時には真っ正面から向かい合って。

自分の中の思い込み癖というのは本当に沢山あって。というか、それが当たり前で過ごしてきたから、それが思い込みだと言うことすら思わなかったりするのだけど。
えっ?これも?みたいに日常の些細な事が実は思い癖でまとわれてたと気付かされる毎日。

面白いのは、それに気づいた時すぐに切り替えられて実行できれば、ちゃんとすぐに変わってしまうということ。打ちのめされてる場合じゃない。次から次へとポンポンやってくる。
「!」となってあちゃーこれもかとなるけど、余韻に浸らず「んじゃ、どうしたいか」にパッとチェンジ出来て、その「どうしたい」をすぐ身体使ってやれれば、ちゃんとそっちにシフトする。その速さとサポート力が今だからこそだなあとか思うけど、実際やってみると結構面白い。「あら、出来ちゃった」みたいな。

「どうしたい」をやる時にデカイ事じゃなくてよくて、最終ゴールの「こう在りたい」さえ分かってれば、目の前にちゃんとチマチマやることが出てくるからそれを黙々とやってればいつの間にかゴール近くに来ちゃってる。んじゃ先ずこのゴミ捨ててーとかそんなチマチマしたことだから、思いついたこと気になったことをシャカシャカやってく。その時アタマの相手してるとまたどっか飛ばされてしまうから、やっぱり「アタマ(思考)に取り込まれてない状態」がジブンで分かってるかどうかは大事なんだろうなー。

なんだかんだ言ってぜんぶ「ジブンの中心に戻るため」に起こってるようなもんだから、あんなヤな事もこんな避けたい事もちょっとだけ立ち止まって自分と対峙すれば、かえってそのあとは楽になるのはわかってる。
ただ今は日を追うごとにあまりにもパワフルで揺さぶり激しいもんだから、時々メゲちゃったり疲れちゃったりするんよねー。
やんなきゃいけない訳じゃないし「やらなきゃ」となるとまたそれも執着になっちゃうからややこしいやね。疲れたら休んでだらーっとして。バランス取りながらジブンの声聴きながら。

やるときは、やれるときは躊躇わずやって、やらなくていいときはやらない。
アタマ使って考えても何も出ないから、アタマ使わないで順番に出てくることを出てきた時に真っ正面からやる。瞬間瞬間を感じながら。いまジブンは何を感じてるのかを感じながら。


そうやって少しずつ
「起きてること」にとけていって

アタマ使わなくても
自分がしゃかりきに頑張らなくても
ちゃんとジブンはいるし
やってるし
「起きてること」は
自然に流れていくということを


みーんなバタバタ
みーんなソワソワ

でも大丈夫

それぞれのスピードで
ちゃんと
そうなっている


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kitoma
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