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おそれ ゆるし

電車のなかでフと言葉が湧いてくる。


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おそれ は

自分 を

許すために

あります


自分を許す
機会を与えるために
あります


もっと言えば

おそれを持った
または
おそれを持っている
自分 を

その自分 を責めている

という

自分 を

許すために
あります


おそれ を
許すのではなく

おそれを持っている自分

認められない 責めている
自分 を

許す機会です


さらに加えれば


その

許す 事で

すでにゆるされていた

知るためです


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シンプルすぎて解りづらいので
ちょっと注釈加えるならば。


許す とは
認める ことであり
自分を許す とは
自分を認める ということです。
そういう おそれ を持っていた
ということを認める ということです。

そして
おそれ を持っている自分は
よくないと
そう思って自分で自分を責めている
そんな
責めている自分 を 
許す、認める機会を
自分に作るために、与えるために
おそれ はあるのだと

赦す は
認める のではなく
とがめない ということです。
そして
ゆるます も含むようです。

その
許した自分 認めた自分

そもそも赦されており
とがめられるような 自分 は
いませんよ と
それを知りなさい気が付きなさい と


そして
その機会を自分に与えるために
おそれてみて
その おそれている自分を
悔やんだり責めたりしてみてるけれど
そこにそんな思いをする必要はなく
「許す」を経験するためだから

誰か を許すのではなく
自分を許す ためだから

だから
おそれ をそんなにおそれないで
違うミカタをしてごらん


みたいな
感じです。はい。

ポンと現れた言葉らに「ほーぉ、なるほどなー」となりまして。
おそれ なんて誰でも持っているし、これからも出てくるだろうし。でも観るところは「おそれそのもの」ではなくて、そこにはおそれてる事で何らかの形で自分を認められなかったり(これじゃーあかんと)責めたりしている思いが隠されてるようで。そっちを観ろよ、と。
何段階にもなってたり色んなもの絡んだりして解りづらいわーとか思ったのでした。

でもここでも対象はまわりの何かではなくて。
詰まるところ全部自分に行き着くみたいです。どれだけ状況が、環境が、誰かが、となったとしても。

すべては 自分 をみるためのもの


まったくもって
面白いセカイです。


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kitoma
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