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ナチュラルに溶け込んでいく

ちょっと調べ物をするのに去年の今頃の情報を探っていたら
日記まではいかないメモ的なものを見つけて
去年の11月から1月くらい迄の3ヶ月を追ってみたけど
もうすっかり忘れていた出来事があったり
これはこの時だっけかと時間軸があやふやだったり
一年前の私は もう知らないいつかの人だった


1年前今頃の紅葉


そして今
意味なく奥深くでうねり上がっているもの

今まで密かに否定していたもの
認めようとしなかったもの
何故そうなのか分からなかったもの

それすら 全てひっくるめて
それでよかったんだな という
意味も理由もない納得と安心感



いまだ何でかなんて分からないけれど
もう 大きな大きな流れのなかで
その一部で生き生かされているという

頭で理解したくない(出来ない)自我の反発と
まだ何とか他のにすり替え出来るのではという
目論見の動きすら感じられるけれど
それも大きな流れの中の泡のひとつのように
浮かんで消えて


自分 という
確固としてあると思えるそれの解体に
さまざまな角度から視点から
あまりに自然な形で流れ込んで来ていて
ああこうやってナチュラルに馴染んでいくのか
と 感心すると共に不思議さいっぱいで

知りたい というその思いさえ
溶けてなくなっていく不思議さ



きっといつのまにか
ああそうだったね と
なっているんだろうな

ヒトの頭では及ばない世界
知る すら届かない世界


そんなもん要らないセカイ

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kitoma
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