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暑さなりの いま があり

朝から30℃越えというのは、いったい何なんだでしょーか。。しかも東京は今のところ来週ずっと30℃越えの数字が並んでおる、、。さすがに昨日からクーラーをつけ始め、その直前には扇風機も引っ張り出してみたりして用意万端。

確かに暑いっちゃー暑いのですが、これだけ気持ちよーく晴れてくれると洗濯物があっという間に乾いてくれるので、ありがたい限りです。
どのお家も洗濯物がヒラヒラと楽しげに踊っています。

これだけ暑いとさすがに日中のお散歩はよろしくないですなーと思い、早朝か夕方以降に出るようにしていますが、何でもない時は気が向かない限り早朝散歩なんてしないのに、そこしか出れないとなると、ちゃんと朝起きれたりするもんだから笑っちゃいます。

それでも、無理して(身体のために)散歩しなきゃとなっている訳ではなく、ジブンに問うと「お散歩行きたい!朝散歩楽しそう!」となるので、ヨロコンデやっているようです。



朝散歩はやっぱり気持ちがいいのです。
太陽の光って時間帯でなんでこんなに違うんだろうーと感じるくらい、朝の光はとても優しく、私からみればいつもの街が別世界のようです。ほんの小一時間のタイムトラベル。

汗だくで戻って来るので、普段やらない朝シャワー浴びてみたり、クーラーつける前に掃除やら全部終わらせてみたり。
これも真夏日だからのことで、いつもの日常がちょっと変わって面白いです。
真夏日ならば真夏日なりに。
梅雨空なったら梅雨空なりに。



自分の中にポン!と湧いた違和感を、ますます見逃せづらくなってきてるなーと感じます。
以前だったら「まぁいいか」とか「うーん後にしよう」とか出来てたものが、どーにもこーにも居心地ワルク感じ、観ざるをえないというか。
ボン!がモワァッーっと一気に広がるような、そんな感覚。

その違和感も、少し趣が変わってきてるような感じがしていて。
前は平気だったのに、今は違和感感じるとか、ほんとに些細な事なのですが、より繊細に本来のジブンに合う合わないをキャッチしてるような感じがします。

その本来のジブンというのも、「その時の」みたいで、「その時の本質のジブンはどう感じたか」に焦点が合っているような。

その時 その瞬間

ジブンも変わりますから
前はそう感じた が
もう変わってたりします

だから常に
いま にいて
その時の いま のジブンに聞いてみる

考える のではなく
感じてみる

頭ではなく
感覚で



感覚寄りになればなるほど
その瞬間しか出会えない
楽しげなことやらに
気付きやすくなるのだなーと感じます

お! とか
あ! とか

ほんとにそんな瞬間

あれやってーとか考えてたら
通りすぎてしまう
そんな僅かな瞬間

目の前に
自然でありながら
キラキラした なにか が
その奇跡のような瞬間を
みせてくれます



はかりしれない
愉しさです


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kitoma
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