日常が無意識的であると気付けるように
「太陽が本気出してきた」
そんな言葉がフとよぎるような快晴は
どうやら不要なもののリセットには必要みたい
少しの間陽のヒカリを感じながら浴びていれば
シュ-ッと何かか浄化され 身体が軽くなっていく
同じ日に違うスーパーで同じような事があって
普段買う食材などはだいたい買う店が決まっていて これはこの店と渡り歩いたりしてるのだけど 月が変わると値段も変わっていたりしてそれはまあ仕方ない事なのだけど いつも買っている卵がなんだかとーってもお高くなっていてあちゃーとなって 一瞬ためらったのだけどその卵は気に入っているし次回は考えるとして今日はもうこれ買って行こうとレジを通したら 以前の私の記憶にあるプライスで清算されていた
ん?と思ったのだけど前と同じ価格だし値札表示間違えでもしたんかな(それくらい高くなっていた)と次の目的地(スーパー)行って豆乳を求めたら これもなーんかお高くなってる
うひゃーとなったけどこっちもまあ今回は買って行こうと清算したら これも以前のプライスでレジが通っていた
はて全く同じ事が同じ日に違う店で偶然に起きるものなんだろーか?
表面的に見れば以前の値段で買えたんだからラッキーでオッケーになるんだろうし たまたま私が買う商品が表示値札誤りしていたのかもしれないし 本当はどうなのかなんて分からないのだけど
私てきには 見えてるものだけが正しいとは限らない と言われているよーで それにプラスして自分が何を基準にもの選びをしているのか考えるように言われてるよーで そんな感じがしてならない
ちゃんと 自分の好みで選んでるのか?
とは言え今のご時世とーんでもなく日常が値上がりしているから なるべく安いものを買う というのも必要な時もあるだろうし 買わないという選択もアリなわけで 因みに先週の買い出しでキャベツ1玉680円(税抜)にはさすがにびびって速攻「キャベツを今食べなくても死なない!」が自分の中でこだました(笑)
それじゃなきゃいけない という 思い が
どこかで強くこびりついている気がする
そうしなきゃいけない でもいい
単なる今までの習慣なだけなのだけど
それが習慣になってしまっている と
気付きにくいところに収まっていて
それの炙り出しが行われているような
そんな感じ
お野菜だって それじゃなきゃダメなんて
そんなものはなくて
その栄養素は別のものでまかなえるはずで
だけど何故かいつの間にか
その食材じゃなきゃダメとなってる
本来の目的は 意図するものは
何だったのか?
そこに目が向くように
ゆるりと でも的確に
物事が動いて行って
始めは三次元的な事から入り
それがやがて内なる方へ向かうように
ちゃーんと導かれている
頭であれこれ考えて
例えば確かこうしたほうがいいはず と
思考してそれをやってみても
今殆どの場合スムーズには動かない
だけどそれが
なーんも考えてなくて ただ単に
あ こうしておこう! と
同じことをやったのならば
多分それは滞りなく運ばれる
その違いが日に日にハッキリしてきていて
だから
ちょっと滞りがあるな?と感じたときは
一旦立ち留まってそれをした時の
自分の様子を思い出してみると
大抵の場合以前のあれこれから
先回りしてそうしとこうとやってたりする
どれがいい と示されているのではなくて
そうなんだよ と
気付かされることが大切みたいで
気付いてさえしまえば
後はその場が教えてくれる
たぶんいまは
どれだけ意識的に
日常に在られるか が
ポイントで
逆から言えば
どれだけ普段無意識に生きているか
に 気付ける ということ
無意識的に生きている というのは
言葉を変えれば
習慣的に生きている とも言えて
それはつまり
今までの産物の中で生きている
ということでもあるから
今まで が通用しなくなるこれから
どれだけ 意識的に生きているか に
気付けるかが
ひとつのキッカケかなあー
どんどん どんどん
じぶんのなかの
眞なる 神なる 領域へ