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この和ぎ(なぎ)のひとときに
今年に入ってから色々な点と点が繋がって突然線になったりしてるのだけど、つい先日も図書館から借りていた本の返却期限で、本文は読み終えていたけれど最後の追記的な数ページは読めてなくて。
どうしようかなあと思ったけれど、何だか気になって残り数ページを読んでみたら、その中の文章に40年前の「点」にリンクするものがあり。
それは2年前に違う形で示されていた「点」でもあり、一気に違う二つの「点」がそれぞれ繋がって、さらに別の線が創られて、ちょっと ひえぇ~ となった。
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その本の本文の方もたぶん今必要な情報で、そっち読んである程度満足してたもんだから「こっちかいっ!」と、思わず何に対してか分からないけど突っ込んでしまった。
しかもそこ読まないで返しちゃおうかなーとか思ってたもんだから、いつもの”メンドクサイ”を優先させなくてよかったなーと思うと同時に「こーんな形でお試ししないでくれ~」と笑ってしまう。ま、お試しなんて無いんだけどね。
ストーリー的に見れば、ちゃんとその時の「ん?」という直感を拾っているかっている事にもなるわけで。今は特に直感推奨期間だから、アンテナ立てれば立てるほど色んなものキャッチ出来るわけで、そこで今までの身体的習慣のまま過ごしてスルーしちゃうか否かは、繋がった時のお宝発見具合が変わってくるのかなあとか思ってみたり。
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たぶん今って、直感とかインスピレーションに従ったときの「おおっ!」ていうリターンが分かりやすくなっているんじゃないのかな。
『そうそう、それ!それでいいよ~』って今まで持っていた「これで(この感覚で)いいのか?」という疑問不安を払拭させてくれるようなそんな感じ。
これからみんなそっちの方向へ進むから。
小さな「あ、これでいいんだ」を積み重ねて、知らないうちにそれが通常モードになっていくのもしれない。気が付いたら、直感やインスピレーションで動くのが当たり前になっていた~みたいな。
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個人的にはいま、今までの答え合わせのような感じになっています。
ずーっと疑問に思っていた(けど忘れていた)こと、一面だけ観えて全面は観えていなかったもの、意味分からないけれど何だか情報だけインプットしておいて忘れていたもの、そんなものら「点」が今目の前に起きた事と突然線となり繋がり、記憶からはすっかり消え去っていたあれやこれやがその瞬間蘇って、「ああそうだったのか」と納得が訪れてまた消えていきます。
それが良かったのか悪かったのかとかではなく、ただ「ああそうだったのか」となって静かな安心感のようなものが訪れます。
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春分というのはひとつのスタートであり
その直前のいまというのは新たな始まり前の
今までのシマイ支度のような期間でもあり
冬がシマワレて春になり
新たが芽吹くように
その森羅万象のサイクルというものは
我々ニンゲンも含まれています
自然界だけの話ではありません
ヒトの身体もそのサイクルとリンクし
宇宙含めた様々な影響も受けています
この肉体の身体は自然界の物で出来ており
普段まったく気に留める事もないかもしれませんが
物質としてそう成り立っているので
影響がゼロという事はありません
身体は 自分が作っている のではなく
自然のもので動かされている ものです
その器とも言える肉体物質に
精神的な見えないものがあり
それらひっくるめて「自分」と認識しています
認識している ナニカ があります
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で 今は
その身体と精神(心と言ってもいいですが)
どちらもバージョンアップされていて
そのバランスを取るためだったり
データアップデートだったり
なんやかんやと忙しいようです
ただ この肉体というものが必須なので
今まで精神分野に偏っていた人は
もしかしたら何らかの形で
バランスを取るような事が起きているかもしれません
この身体というものを通して
個々の特質特性を現わせるのが
これからの醍醐味のようなものなので
その 身体 から大きく離れていると
何らかの合図が来ているのではないのかなと
やがて
この 身体 というものは何なのか と
素朴な疑問が湧いて来るかもしれません
自分宇宙という言葉が
しっくりくるようになるのかもしれません
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いま起きているのは
個人レベルというよりも全体的な事です
もちろん個人という目線で見れば
自分にあれこれ起きているということになりますが
細胞レベル DNAレベルで
大きく変化が起きているようです
まーいちいち「私のここの細胞がー」とか
感じる事はないでしょうから
気付かないうちに色々変わって行くのでしょう
そういった意味も含めて
身体そのものと精神的なものの繋がり
そんなものも改めて見直してみてみると
以前より全体が軽くなっている分
身体そのものも感じやすくなっていて
意識を向けた先の感覚
身体の反応 そんなものも
前とは異なる受け取り方が
出来るかもしれません
より細やかに
より静かに
自分というそのものに
向き合ってみる
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終わらせるための
はじまりが
始まるための
シマワレが
わたし の
およばないところで
軽やかに
流れているようです
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