ありがとう が 流れみつる piece_vol.83
ひかりで
あふれてる
外に出た途端
その
ヒカリの多さに圧倒され
なんごともない
見慣れたはずの風景が
見たことのない景色のように
流れ
道行く人
通り過ぎる車
建ち並ぶ街並み
間から見える空
信号機の点滅
影模様をうつすアスファルト
プランターから伸びる草木
電線にとまる鳥たち
道すがらの知り合いにおばちゃんが
「行ってらっしゃい」とかける声
工事迂回案内人の
丁寧なしぐさ
降りそそぐ太陽のもと
信号待ちする穏やかな顔
その
あたりまえ過ぎる風景が
ありがたすぎて
すべてのモノゴトが
音が 形が 匂いが
キラキラと輝いていて
ありがたくて
いつもの神社は
深みのある静けさで
優しさで
ヒカリだらけで
立ち止まって話していた人達を通り過ぎようとした時、ちょうど会話が終わったのか
「ありがとうございます」
「ありがとうございました」
と声が響く。
ベンチに腰掛け陽を浴びてほころんでると
少し先でお外ランチを楽しんでいた幼児連れのママさんグループから
「ありがとうー」 が飛んで来て
何に”ありがとう”なのかはサッパリ分からないけれど、そのあとずーっと「ありがとう」が飛びかって。
まるで輪唱のようにこだまして。
辺りが
「ありがとう」
に包まれて
私も「ありがとう」に
くるまれた
その場が
「ありがとう」
に なった
空も
樹も
水も
大地の片隅にも
どこにでも
ヒカリがとどいていて
そこには
「ありがとう」も
響き渡っていて
応えるかのように
ヒカリに混じった虹色が
樹にも
水にも
現れて
そこらじゅうが
「ありがとう」
だらけになる
私のセカイが
「ありがとう」で
いっぱいになります
私の世界の「ありがとう」でいっぱいは
同時に
ダレカのセカイの
「ありがとう」でいっぱい
でもあり
ぜんたいが
「ありがとう」でいっぱい
なのでしょう
自然の摂理は
宇宙の摂理であり
宇宙の摂理は
ぜんたいの摂理ですから
「自分」の頭で考え思うことなんて
及ぶはずがなく
それでも
ニンゲンは
森羅万象の一部で
すべての摂理の一部ですから
「自分」が
どう思おうと
どう感じようと
そんなもの関係なく
言葉じりではなく
一切関係なく
「ありがとう」は
すべてに充ちています
空の
色の
なんて美しい
現れでしょう
その
現れのいちぶである
ワタシタチ