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ナンデモナイ は 全部 だから

朝花瓶の水替えをしていたら、蕾が付いているのを見つけました。


これは3週間くらい前に買ったお花がオシマイになった後、葉っぱが元気だからグリーンで楽しみたいなぁとそのまま活けてたやつでした。

ずーっと元気な葉っぱを楽しんでいたのですが、まさか蕾が付いていたなんて!
私からしてみたら「とつぜん蕾が現れた」感じだったので、もんのすごく驚いたのと喜んだのと。

もうなんのお花だったかも忘れちゃったのですが、朝から素敵なギフトを貰ったようなヨロコビでした。

こんなのが訪れると、つくづく「思い込みしてたなぁー」と思いしらされます。
見えてたお花が終わったから、もう咲かない。もうオシマイ。
そりゃー「もともとあった蕾を見落としてただけでしょ」と言われればそれまでですが、時間というものをぶつ切りにして考えた時。つまりは継続してはいなくて、瞬間瞬間があるという視点から観たとき、その瞬間に思ったこと、行動したことで、別の瞬間が現れます。
今回の葉っぱも、その瞬間「花が終わったから」とポイしてたら、この蕾には出逢えなかったわけです。

モノを大切にしましょうとかそんなお話しではなくて。

その「瞬間」どこまでフラットにナチュラルにいられるか。
その「瞬間」どこまで自分に素直で在れるか。

単純に「グリーンを楽しみたい!」で葉っぱだけ活けていたお花。それが私にとって目の前の小さなヨロコビで、その時それが楽しかったから。

"その時々目の前に訪れる小さなひとつひとつを、その時のジブンの本心のまま素直にただやる" とはこういうことなんだなぁ。後からちゃんとヨロコビが訪れるんたなぁと、そんなことを感じさせて貰えた出来事でした。



梅雨に入り雨の降る日も増えてきましたが、「洗濯物乾かーん!」となってる一方で、お外に出れば晴れの日には見られない自然の芸術が待っています。


もうね、この雨粒たちを見ると嬉しくなっちゃうのです。なんて美しいんだろう~。


宝石のようにキラキラで。
しかもその瞬間しか観れないもので。
作為のない自然の現れのカタチ。

決して「考えて」創りだせないもの。



noteを始めてから写真を撮るようになりました。それ迄は全く興味がなくて。
note繋がりの方から誉めてもらったりして嬉しくなって、記事に使うために撮っているうち、「ああ、写真ってどれだけ自分が空っぽなのかが観れるんだな」と知りました。

私はその時キラキラしたものや楽しげなもの、パワーを感じるものらを撮っています。
「おっ!」と感じてパシャッ!とやりますが、カメラ知識とかありませんからどのアングルだとかそんなもんは関係ありません。感じた瞬間を撮っています。

綺麗に写っているかだとかどーでもよくて、私がその時感じたもの、私の眼を通して見えたキラキラたちが、そのまんま現れているかどうか、だけなのですが、カメラが面白いなーと思うのは、私が感じたもの以上のものが映し出されるのです。

私は単に感覚でとらえたものを撮るだけですが、映し出されたものは、眼で見えてたもの以上のものが現れてたりして、後から見て自分がびっくりです。

なーんも考えないで「キレイだな~」とか喜んで撮ってるとき。「上手く撮ろう」とか"自分"が邪魔しないで空っぽで撮っていると、空っぽであればあるほど、本来そのものの姿を見せてくれるのだと知りました。
まるで「ホントはこうなのよ~」って教えてくれるかのように。

自分の眼では見えてないものが観れるので、楽しくて仕方ありません。
これもnoteを始めたからというご縁であり、こんなヨロコビを気付かせて貰えて、ありがたいなーと感じます。

そしてそんな現れを見るたび、日々のまわりの中で人が捉えているものは本当に僅かなもので、気付いていない美しさや楽しさ、ヨロコビらがそこらじゅうに溢れているんだろうなあーと感じるのです。


森羅万象の本来の美しさやヨロコビを観たくて感じたくて、私は自分の余計な思い込みらをせっせと外しているのかもしれません。
その中にはニンゲンも含まれます。

自分がクリアになればなるほど
相手の本来の輝きが
感じられるようになります

自分がクリアになればなるほど

自分が何者か
なのではなくて

自分は何者でもなかった

と知るようになります

何者でもないことは
自分がなくなるのではなく

本来のジブンが
輝きを増すということです

すべてであるものの
一部である
ジブンだけの個性特質が

何者かであったシバリを解かれて
何者でもない無限さのなかで
輝きを放ちます


ナニモノでもなく
ナンゴトでもない

それは

ヨロコビなのかも
しれません


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kitoma
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