
フルーツサンドでなくてもよかったらしい
少し前からフルーツサンドが時々食べたくなって、トライするのだけどドヨーンとなる、を繰り返してた。まあ要因はなんとなく見当ついてて、小麦粉・乳製品・砂糖類は普段あまり好んで摂ってないからそれが全部盛りのフルーツサンド食べて変調するのはそりゃーそうなるわな。ドヨーンとなるくせに暫くすると何故だかまた食べたくなる。うーむ。
最近の暑さでヨーグルトに果物入れて食べるというのにハマり、このところヨーグルトは常備されてる。果物で甘味がとれるせいか和洋問わず甘いお菓子類は欲することが減っている。
で、珍しく我が家にヨーグルトがあるもんだから思いつき、水切りヨーグルトにメープルシロップで作ってみたら、これがビンゴ。甘さも自分で調節できるし果物はあるもん入れればいい。何よりドヨーンとならない。よしっ!
でね、前々から思ってはいたのだけど、何かを食べたいと思う時、その料理や食材そのものを食べたいと感じてる時と「そういう感じ」を欲してる時とあるよなあと。
今回の場合だと「フルーツサンドが食べたい」と思ってるのだけど、食べると実際身体は受け入れない。要は身体は欲してない。だけど頭は食べたいと申しておる。
これを「身体によくないから」と食べないでいると精神的によろしくない。「身体によくないものは食べちゃいけない」という思い込みも強化しちゃうし。そもそも身体にいいかどうかなんて頭で分かるもんじゃなくて、その時の身体に合ってるかどうかだろうし。
私が小麦粉や乳製品あまり食べないのは、食べると胃もたれやら何やらになるからで、以前はしこたま食べてたし。今の私の身体には敢えて摂る必要ないもんなんだろう程度に思っていて、食べたくなればパスタも作るし今回のように食パンも食べる。で、それで満足すればまたしばらく「食べたい」は起こらない。
「フルーツサンドを食べたい」と感じてたと思ってたのだけど、今回の満足度を観るとどうやらフルーツサンドでなくてもよかったらしい。生クリームのようなものに果物が入っていて、それが食パンに挟まっていれば。その「食感」を味わいたかったらしい。
別パターンでも同じような事があって、それは「豚カツ」だった。揚げ物もふだん殆んど食べないし豚もあまり欲しなくなってきてるもんだから、これまたトライはするけどその後ドヨーンとなる。
で、この時は「揚げ物のようなサクサク感+ちょっとの油風味」だったみたいで、油揚げひっくり返してちょっと濃いめ味付けの何か入れて焼いたものでご満足になった。
頭では「あれが食べたい!」って騒いでるのだけど、どうやらその料理そのものを指してるときと、そういう食感やらそういう感じのものを欲してる時とあるらしい。
ようは、「言葉そのもの」じゃなくてそれを指しているもの。
頭で「豚カツがー!」て出てくればそりゃ豚カツを探すだろうけど、身体の欲してるものだとは限らないということ。
頭の言葉は過去の記憶から出てくるから、単にサクサク感を味わいたいだけなのに、頭としては"豚カツ=サクサクした油っぽいもの"で取り出してきて「豚カツが食べたいんじゃい!」となったりもする。
こういった感じで、実際自分がいま欲してるものと、頭から出てくる過去の記憶言葉はズレが生じたりする。
だから「いま、本当はなに食べたいんだ?」と都度ジブンに、身体に聴いてみる。頭が騒いでる「豚カツ~っ!」は脇によけて。
頭の言葉がワルいわけではなく、既に今の自分の身体はその頭の記憶時からは変わっているのだから、そこを感じとる。頭のなかの言葉だけを信用しない。
今回の場合、水切りヨーグルトver.で満足得れたから、次からはフルーツサンドみても「食べたい」と直結はならなくなる。何か別の代用を発見するかもしれないし、もうそれ自体欲しなくなるかもしれない。それは分からない。
言葉は過去の記憶からきていて。
その「言葉」がツールだから、言葉になったとたん過去になる。
そしてその言葉は人の数だけ意味が異なる。
身体の感覚そのものは「いま」感じてることで。
身体の感覚すっ飛ばした「頭だけの言葉」は過去でしかなくて。
「いま感じた身体の感覚が言葉として出てくる」のと、「頭だけの言葉」はベツモノ。
だから、いま何をジブンは感じてるか、を大切に眼を向けてれば、頭だけの過去の世界にすっ飛ばされることは減ってくる。
言葉は大切なもので素敵なものだけど、そのまままるっと「言葉の文字面」だけを信じるのではなくて、そこにのせられているもの、エネルギー的な感覚、指し示してるもの、そっちの方へ眼を向けたい。
万人の共通ツールではあるけれど、万人ぶんだけ意味も違うということも心に留めて。
で、それは自分の内側でも言えることで。
言葉=意味を持つこと だから、頭の中に湧いてくる言葉は過去の意味を持って訪れる。過去なの。
自分の「過去」の言葉を「いま」頭の中で聞く訳だから、必ずしも「いまのジブン」と合っているとは限らない。言葉そのものはマッチしてても、意味合いが変わってきてるかもしれない。
それは、ジブンの中で違和感として感じとる。
今の本来のジブンとズレている意味合いを持たせた「過去の意味合いの言葉」を自分の中で聞くから。違和感として感じとるのは外側の出来事だけじゃなくて、自分の内側だけのことでも感じとる。
それはもう過去の産物で、自分の中からサヨナラしていいものなのかもしれない。
その違和感に気付いたとき、よくよく観てみて違うなーとなったとき、その過去の言葉は今のジブンに合った意味合いに変わり、上書きされるかもしれない。
言葉の意味合いが変わると、観える世界も変わってくる。
頭の中に湧いてくる言葉は「過去の記憶から出してくる」から、働きそのものはワルくない。そういうシステム機能だから。
ただ、その「意味付け」は自分でリセットなり上書きなりすることが出来る。古いバージョンをいつまでも持ち歩く必要もない。
言葉に縛られるということは
過去に縛られるということ
過去の意味付けされたものに
縛られているということ
いま は常に変化していて
ある意味常に新しい
いまのジブンに
合わなくなっている言葉があったって
おかしくない
自分の記憶 は 言葉 だから
過去の古い意味付けされた自分の記憶に
いつまでも縛られてる必要もない
それが心地よくないのであれば。
捨てちゃってもいいんじゃないのかな。
すると
フルーツサンドでなくても
ヨーグルトバージョンでもよくなったり
もっと違うアイデアが浮かんだり
また色々と広がって
楽しくなる
フルーツサンドも
頭の中の過去の記憶も
おんなじ。
なんら変わりはない。
楽しみは
拡がったほうが
愉しいやね
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