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遊びも気づき↔気づきも遊び?

暮れに買った切り花についていた蕾が
年明けてから開き始めて
こういうとき私は とっても嬉しくなる

ヘタすると開かないままの時もあり
無事開かせてあげられたことに
ちょっとした安堵と
自然という生命の尊さを感じる



花瓶の水を変える度に
ふわぁんと甘く香る匂いがあって
はて
チューリップってこんな香りだったっけと
改めて確認してみたら
香りのモトはリューココリーネだった

こんな小さな草花なのに
こんな強い香りがするのかーと
普段あまり甘い香りは身近に置かないから
何となく珍しくて うふふ となる



最近とんとゲームはやらなくなったのだけど
何となく猫探しのパズルゲームをやってみたら
難しいとか楽しいとかとは関係なく
視覚の変化を体験出来ちゃって面白い

白黒の絵の中から猫を探して
クリックすると猫に色がついて
指定数だけ探すというゲームなのだけど
一番初めは
単なる平面に線が描いてあるという認識で
そこから猫の形を探し
猫に色がついて浮き上がって来ると
その周りの線も「物」として認識が働いて
周りとの区別が段々ついて浮かび上がって来る

これ 言葉にするとちょっと難しいのだけど
平面から立体に変化する過程を味わえて
眼ってこうやってどんどん周りと区別して
ひとつの形として認識してるのかって
それが
猫が増える度に深まって立体化するから
へぇ~って感じになる

私の場合 色が付いた瞬間から
ゆっくりとその周辺が区別し始めて
単色でも色付きが増えるごとに
「物」としての区別がハッキリ認識していった

もうひとつ

「猫を探そう」と思って頭で探すと
立体化の区別を優先して探しにくいのだけど
頭を使わないで
スンと自分の真ん中に集中して
単なる感覚の状態に陥ると
猫の形が勝手に浮かび上がって来て
すぐ見つけられる

これもへぇ~っと思って
色んなパターン試してみたけれど
やっぱり頭使ってやろうとすると無駄が多くて
思考止めた状態にした方が見つかり易い

で これやってると
思考放ったらかして
自分の真ん中に集中する練習になるもんだから
面白くなっちゃって暫くやっていたら
その過程で
平面から立体化への視覚の変化があって
こりゃ~面白い と
今度はそっちに集中してやったら
ゆっくり段階を踏んで
「見え方」が変わっていき
あーこれを身体は瞬時にやってるのかぁと
何となくの理解になった

視覚の確認で
色だけを視るとか色々試したけど
それがどうやって自分が身体の機能として
「区別/分別」をしてるのか
体験としてよく解ってなかったから
思わぬ所でそれが出来ちゃった



昔は単にゲームそのもののクリアとか
楽しくてやっていたけれど
いつからか
やりながら自分の内側とリンクさせて
気付きの材料として多々使えたりするから
気が向いた時とか試しにやってみると
ほぉーお となったりする

まあ私は一旦はまると
ずーっとそれやっちゃう事あるから
へんにハマらぬようには注意だけど(笑)

暇つぶしではなくて
気付きのキッカケとして使うならば
ゲームといえど立派なアイテム
(まあ内容にもよるけれど)

でもって 今回視覚の分別の過程感覚が
ちょっと解った事で
この後日常の中で「見る」という事が
どう変化していくのか
それを観るのも 楽しみ


「見る」ということを
当たり前のようにやっているけど
「見える」ということはどういうことなのか
勝手に見えている ことで
何が無意識的に行われてるのか

そこらへんを 知る ことで
あ そうだったんだ という
理解も深まって それが気づきにも繋がって

いろいろ おもしろい このからだ


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kitoma
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